1週間、本を読みながら生活している守宮の様子をお届けします。
朝晩が涼しくなってきて、ようやく秋めいてきましたね。気温差に負けず、穏やかに生きていきたいものです。
週刊読書日記(8/31-9/6)
最近、夫がデジタルデトックスに興味を持ち始めている。私たち夫婦は結構ぼーっとしていることが好きな方なのだが、それでも見るときは見てしまう。そんなこんなで先週は2冊、本を読み終えた。
『新釈 猫の妙術』の話
夫が注文した本である。届いたよ、と見せてくれたときはまだ朝で、ごろごろしながら受け取り、そのまま読んだ。内容をざっくり確認しようと開いたら、結局最後まで読みきった。だから、解説のあと本文を読むという少しイレギュラーな読み方をしている。
作者の佚斎樗山のことは知らなかった。江戸時代前期の下総関宿藩(野田市周辺)の武士(注1)であり、陽明学者熊沢蕃山の影響を受けた人物、と伝えられているらしい。この本は老荘思想を噛みくだいて分かりやすく物語に仕立てた「談義本」の一種のようだ。『田舎荘子』という本の中の一編であるため、主に荘子の思想が元になっていると言えよう。
ほう、と感心した部分がある。
調和しようと考えて調和するのは、調和というひとつの形をとっておるに過ぎぬ。決して形をなくしておるわけではない。
考えず、しようとせず、ただ心の『感』に従って動くのじゃ。そうすれば、その自然さの中に融け込んで形はなくなる。
――佚斎樗山/高橋有訳『新釈 猫の妙術―― 武道哲学が教える「人生の達人」への道』p.71.72
言い忘れていたが、この話は猫の言葉が分かる侍と大鼠を退治するためにやってきた猫たちの物語である。昔から猫は好かれていたのだなあ。
閑話休題。
調和しなければ、と思って無理をしている状況には覚えがある。そういうときは大抵空回りして、調和からどんどん離れていってしまうことがほとんどだった。なぜなら、作為的な調和はその場しのぎに過ぎず、自然体ではないからである。さらに続けたところでぽっきり折れてしまうのがオチだ。だからこそ、「心の『感』に従」うことが大事なのである。『燃えよドラゴン』に出てくる「考えるな、感じろ」と似ているなと思った。
老荘思想の根幹にある「無の境地」というのはとどのつまり、意思ではなく状態なのだろう。無に至れる状態をつくること、それが"禅"や"道"に繫がるのだろう。
私は中国文学を専門にしているくせに、老子も荘子も通読していない。この機会にしっかり読みたいという気持ちが出てきた。ちなみに『論語』は一度読みかけて挫折している。どうせなら貝塚茂樹氏(湯川秀樹の兄である)の訳で読みたいのだが……。今後の課題として頭の片隅に入れておこう。
佚斎樗山/高橋有訳『新釈 猫の妙術―― 武道哲学が教える「人生の達人」への道』(2020)
(注1)コトバンク「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」佚斎樗山(いっさい ちょざん)とは? 意味や使い方 - コトバンクより(2025.9.7閲覧)
『がんばっていきまっしょい』の話
この本は、誕生日プレゼントとして贈られたものだ。最近アニメ映画が公開されたらしいのだが、本の中をめくるとまったく違う世界が描かれていて驚いた。1970年代の日本で、一人の女子高校生が好きなものにとことん夢中になりたいともがく、そんな話だった。
表題作の「がんばっていきまっしょい」は、女子ボート部を復活させて大会出場し、悔しい思いを次へと活かす、というようなザ・体育会系の精神が宿っている。もうひとつの「イージー・オール」という作品は、身体の不調が原因で大会に出ることができなくなった彼女の心の機微が描かれていた。
私はどちらかといえば、後者が好きである。嫌なことから逃げて新たな興味を見つけ、未知の未来へと進んでいく精神に覚えがあるからだ。まさに、私の読みたかった「青春物語」だった。
好きな一節をあげよう。
この自分は今しかない。一瞬の自分。この瞬間に感じていること、今、身体のすべての血が逆流するほどときめくことだけに、夢中になってはいけないのだろうか。頬に触れる風の感触、道端で咲いている野の草の香り、十七歳の自分が感じている世界は、やがて失われていく。だからこそ、もっと、本を読んだり、映画を見たりしたい。大学生になってから、受験が終わってから。なくても生きていける、けれど大切なことを先送りして、自分をごまかしている。
――敷村良子『がんばっていきまっしょい』p.119
「わ、わかる~~!」と思いながら読んでいた。今この瞬間に感じていることを消されたくない。その気持ちは当時の私にもあった。雪の降った日に誰もいない神社から街を見下ろすこと、誰もが寝ているしんとした時間に夜明けの空を眺めること、夜中まで夢中になって本を読むこと。一人、静かな空間で感覚が研ぎ澄まされる瞬間が好きなのはあの頃から変わっていない。抑圧されていた窮屈さが描かれているこの一節が大好きだ。
最後が船出で終わるのもいい。当時はまだ、瀬戸内海に橋が架かっていなかったのである。祖母が四国へ行ったときに、船出する瞬間テープを投げたという話を思い出した。私も一度だけ、進水式で色とりどりのテープが宙を舞う瞬間を見たことがある。私にとって、海に漕ぎ出していく船は旅立ちを想起させてくれるものだ。
船の行く先は闇だった。何が待っているかは、かいもく見当もつかなかった。でも、もう、怖くなかった。からだごと自由になって頭のてっぺんからつま先までわくわくしていた。
――敷村良子『がんばっていきまっしょい』p.217
ほんの少しの希望を胸に、新たな世界に飛び出す彼女の姿を眩しく感じた。
余談だが、舞台となっている松山東高校は、プレゼントを贈ってくれた友人と初めて会った場所である。
敷村良子『がんばっていきまっしょい』幻冬舎文庫(2005)