1週間、本を読みながら生活している守宮の様子をお届けします。
風が冷たく、マフラーが手放せなくなってきました。乾燥するからとエアコンの風量を弱めると寒く、強くすれば暑くなるという矛盾と戦う日々です。先週は部屋を飾り付け、夜はクリスマス気分を味わうことで英気を養っています。
週間読書日記(11/24-11/29)
今週は3冊の本を読み終えた。その中には洋書も含まれている。私にとって本を読むことに対する意識が変化した時期であったような気がする。
過去の自分と向き合う多言語読書の話
前回の読書日記で、英語の物語を読むことへの羨望について書いた。学生時代にもっと物語に触れていたらきっと英語が好きになっていたのに、と思った私は過去(つまりは現在も含む)の自分を救うべく英語で書かれた小説を読むことに決めた。ちょうど『Paddington』シリーズを夫が何冊か注文してくれたこともあり、俄然意欲は高まった(たまたま偶然が重なった結果である)。
ちなみに私の英語力は、中学のときに無理やり受けさせられた英検準2級受験時がピークである(本当に謎なのだが受かっている)。大学の頃少しだけ英語読解をしたあとは、英語に慣れるためにラジオ英会話に手を出したり、語彙を身につけようと通勤中にDuoを開いてみたりしたくらいでほとんど身につくことなく終わっている。
まずは現状を把握するため、図書館で多読用のショートストーリーを借りてみた。PENGUIN READERS EASYSTARTS シリーズの1冊で、900字程度の短い物語だ。文字より挿絵部分が大きくとられ、思っていたより読みやすい。そう思ったのは通勤中にイタリア語の小説を読んでいたからかもしれない。15分もかからずに読み終えてしまった。読了後の感想としては、英語ってこんなに読みやすいんだ、ということ。中学のときにたたき込まれた基本をまだ覚えているようだった。たぶん、大学で受けた講義が読解中心だったのもよかったのだろう。そして、イタリア語の学習によって文章の構造を改めて知ったからだろう。
それらを加味した上で私は思った。自分では英語ができないと思っていたけれど、読解だけなら"チョットデキル"と言えるのでは? それも物語であれば、の話だが。
今までニュースを読んだり、ラジオを聞いたりしてみたこともある。それらが続かなかったのは単純に興味がなく、楽しくなかったからだ。準備運動での一番の成果は、物語を読むことはどんな言語でも楽しいと気づけたことだ。
これからの言語学習は物語を中心に行っていくことになるだろう。いつかは未訳作品をこの手で訳してみたい。高校生だったあの頃の野望が再び胸に湧き上がってきた。
人生の中で、英語、中国語、イタリア語といくつかの言語に触れてきた。どの言語が一番好きかと聞かれたら、ちょっと困ってしまう。それぞれの言語に良さがあり、その良さは他の言語に触れることでわかることだからだ。私が一番楽しいと思える瞬間は、多言語を反復横跳びしているときかもしれない。日本語で書かれている本にイタリア語が出てくるとわくわくするし、英語で書かれた本の翻訳本にドイツ語やフランス語の単語が出てくると嬉しくなる(余談だが、イタリア語を学んだ副産物としてフランス語やスペイン語を見分ける力がついた。ポイントは冠詞である)。
いろんな言語の"合間"が、私にとっては最も居心地の良い場所なのかもしれない。
改めて、読書とは何だろうと考える。文字を認識し、文章の流れを汲み取り、段落ごとに要点をつかむ。それだけではない、何かが私の頭の中で行われている。書いた人にも、他の読者にもなれない、私だけの世界を作り上げている。読書体験に、まったく同じものはない。唯一無二の体験を求めて、私は読むのかもしれない。
余談だが、自分で小説を書いているときに他人の小説を読むことが苦手だ。文体が読んでいる小説に引きずられてしまって、リズムが崩れる気がする。けれど、不思議と別の言語の本は読めた。たぶん、日本語の文体とは異なるからだろう。自分の考えた文体で読めるのは楽しいことだ。