海鳴りだけをきいている

定命錠
·

 雪が降っている。

 私が小さかった時、毎年この時期になると今年は雪はどれだけ積もるかと目を輝かせた。雨音がなくなって、窓の外の過ぎる時間が緩やかになるのが好きだった。関東だったので数時間程度でさっさと雪から雨に戻るのだけれど、その現世に遺らない儚さも先の瞬間を際立たせるのだ。

 東京で過ごしていると雪は毎年というわけではないが、少しでも降ると公共交通機関がダウンしたりするので話題になる。数センチでも大雪。ファッションドカ雪で東京生まれが叫ぶのは、珍しさというよりも風物詩を楽しんでいるからだろうか。一年に一回あるかないかの祭りであって、生活に根差した事象でもなんでもないから無邪気になれるのか。別に大雪をはしゃいで誰かが不愉快になったりはしないだろうが、都心と田舎の乖離は続いているし、他にも無意識のうちに誰かを傷つけている可能性はある。

 私が学生のとき、Tくんはピアノを弾いていた。休み時間は教室におかれたオルガンを使って色々と弾いてくれた。彼とはよく一緒に帰宅していて、他にも交換日記なんかもしていたしサッカーで遊んだりもした。特に共通する何かを持っていたわけではなかったが、同学年には百人も居ないのでだいたいとは仲が良かったし、彼もその内の一人だった。

 ある二月に雪が降った。Tくんを含むいつものメンバーで雪合戦みたいなことをした。その辺りの道路に積もった雪を固めて投げて笑い合って、顔に直撃させて謝ったり。俺たちは馬鹿なことをよくしてた。ツリーハウスや秘密基地なんて作ったり。馬鹿だったから、当然いじめもあった。

 雪は次の日も降っていた。

 だからといって何も変わらず、いつもと同じように時間が過ぎていった。ただ、見えないだけで空気は張り詰めていた。蛇口からいつもより冷たい水が出るし、風が吹いたら耳が痛くなる。冬をさらに実感して、いつもより深くポケットに手を突っ込んだ。

 昼休憩の時にTくんやRちゃんと音楽室に行った。私は音楽のテストのため楽譜を見ながら運指を練習していたが、Rちゃんはただ見に来ただけのようで、手をさすったりしている。そして、Tくんは音楽室に置かれたピアノを弾いていた。それもいつもよりも真面目な様子で、普段と比べて感情的なようにも見えた。Rちゃんはじっとそれを見ている。別になにかがあったわけではなかった。演奏のあと、一瞬だけ窓の外の遠くの方を見て、それから今気付いたようにこっちを見ていつも通りニコッと笑ってまたピアノを弾いていた。私はそういうものだと思っていた。次の授業が始まる頃には、雪の含んだ水の量が段々と増えていって雨に変わっていた。

 しばらくして、当時の全員と疎遠になった。私は差し伸べられた手をはねのけたから、今どうなっているか全く知らない。でも幸せにやっていればいいと思う。無邪気に他人を傷つけられる彼らだし、社会性はあるだろう。私だってなんとかやっている。彼らも同じように、なんとなく生きているんだろうと思っている。

 他人事みたいに書いているけれど、私も共犯なのだ。だから、というわけではないけれど。雪を見るといつも、裸で倒れている彼を思い出す。