対外的な言葉を綴るのはとても懐かしく、この感覚がだいぶ揺らいでいた。少しづつ矯正をしていこうと思う。誰のためにもならない私だけの言葉を、私の歩幅でここに。
最近の午後三時の空はぼんやりと赤くて、それが澄んだ水色と調和してどこまでも遠くに続いている。インドアな雨もアウトドアな晴れも気分をアゲてくれる。周囲では目まぐるしく現実が変化していて、その急進的なアップデートにいよいよついていけなくなってきた。SNSは発展と共にコミュニティを細分化し縮小させていった。大手ならいざしらず、マイナーどころは人が二桁以下ということもある。目に見えないあちこちに居るのかもしれないが、潜在する彼らの魂を見てみたいとも思ってしまう。そうやって詮索するようなやましい気持ちが頭を覆ってくると、自らを棚に上げているようで拭えない感覚だけが心に取り残される。そうやって毎日は消費されていく。
現在、例えばnoteなんかをざっとスクロールするだけで物書きを志望するような、若しくは一端のライターを目指すような高い志向の人間がわんさか出てくる。そんな中に入っていくとして、どのような価値が自分にはあるのだろうか。見世物になるつもりはない、と数年前までは息巻いていたが、結局、そんな意識も消えてしまった。寂しさを埋めるように承認を求めて、インスタントなアイコン一つで一喜一憂する。表現を洗練することも、文体を獲得しようと模索することもなかなか難しい。個性を求めた果てには唯一無二より商業主義が脳内を蠢いている。そこから早急に離脱しなければならないと、誰にも見られない場所でひっそりと文章を書いていた。誰よりも最初の読者が自身であるなら、やはり自身が面白いと思えるものでなくてはいけない。だが活字で溢れた世の中で編み出した作品が自分に囁きかけてくる。「お前はこれで満足なのか」そうして自己否定から推敲を始めて、ゆっくりと作品は死んでいく。単調減少の意欲・関心は誰の目から見ても最低に近いだろう。少しずつ慣れていこう。やれることを一つずつ。
あと改行したら行間できるのってこれ仕様なのかな。わかる人いたら教えてください…