短歌入門と研究入門

moru
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公開:2026/1/12

 服部真里子さんの『あなたとわたしの短歌教室』に関してすごいのは、SNS上で、名のある歌人も含め、五日分の課題を実際やっている人がたくさんいることだと思う。ふつう、入門書についている「実際に自分やってみよう!」は飛ばされてしまうことが多いのではないだろうか。なんだかんだいって、ひとは手を動かすのを億劫がる。

 それをついついやってしまうのは、本文が、これやったら絶対おもしろそうだ、と思わせるような書き方になっているからである。一つには服部さんの語り口もあるのだけど、服部さんは、「なぜこれが課題たりうるのか」をちゃんと理屈で説明していて、説得力があるというのが大きい。本文は、全力でその課題の面白さを説得しているような勢いだ。私もひとにものを教える稼業をやっている者としてこの教え方を学びたい。

 それはともかく、服部さんのこの本のなかでずっと出てくる主張に、それぞれの人間はそれぞれに面白いので、それぞれに面白い歌が作れるはずであるが、「普通の人が普通に「言いたいこと」を言えば、自分の言葉ではなく、誰かの借り物の言葉の集合体になるほうが普通」である、それゆえに定型によって言葉をこねくり回すと「隠されていた自分自身の言葉、すなわちおもしろい部分が、にゅるっと顔を出す」(p.33)、というのがある。

 ところで、数年前、共編で、日本近代史の研究入門書を出した。そこにはつぎのような文章がある。

研究対象の決め方は、単に「好きだから」「面白そうだから」、その他いろいろな理由で「それに関心を持ったから」で、構いません。「そんなことでよいのか?」と心配になるかもしれませんが、その必要はありません。なぜ心配する必要がないかといえば、幸か不幸か、人は、偶然にテーマを思いついたりはしないからです。あなたは二十数年か、あるいはそれ以上生きてきて、それなりの経験をしてきています。あなたが思いつくテーマというのは、21世紀に生きる人間が、一定の経験の蓄積を経たうえで、日本近現代史についての論文を書くぞと決めた(決めさせられた)ときに頭に浮かんだ研究対象なので、思いついたこと自体に、すでにそれなりに理由があるのです」(松沢裕作・高嶋修一編『日本近・現代史研究入門』、岩波書店、p.5)

 これは基本的に服部さんの短歌観と同じだと思う。歴史学というディシプリンも言ってみれば定型みたいなもので、史料を読んでそこから言えることを言わなければならない。そしてひとは、案外そういう縛りがある方が面白いことを考えたりするのである。

 だから『あなたとわたしの短歌教室』は山川出版社から刊行されている、わけではないと思うが。