魯迅『吶喊』自序のこと/寂寞とSNS投稿/「主将の命令」

moru
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公開:2026/2/5

 自分の書き物を省みるとき、魯迅『吶喊』自序を読み返すことが多い(ご存じの方は内容紹介は読み飛ばしてください)。

 魯迅は医学を志して日本に留学し、そこでたまたま日露戦争のニュース・スライドを目にする。首を切られる中国人とそれを見物する中国人のスライド。衝撃を受けた魯迅は、医学よりも「精神の改造」が重要だと考え、雑誌の刊行を企てるが、仲間の脱落により挫折する。そのあとに感じるようになった味気無さを、魯迅は「寂寞」と呼ぶ。

 魯迅は次のように反省する

つまり私は、臂を振って叫べば呼応するもの雲の如しといった英雄ではないのだ

 しかし、魯迅はあまりにつらい「寂寞」だけは取り除かねばならなかった。魯迅は何年も「古い碑文」を写して自分に「麻酔」をかける。

 そこにある日、古い友人がやってくる。友人はかれらの雑誌に文章を書くことを魯迅に勧める。それに対して魯迅は次のように答え、友人がそれに反論する。以下はちょっと長めの引用。

《かりにだね、鉄の部屋があるとするよ。窓はひとつもないし、こわすことも絶対にできんのだ。なかには熟睡している人間がおおぜいいる。まもなく窒息死してしまうだろう。だが昏睡状態で死へ移行するのだから、死の悲哀は感じないんだ。いま、大声を出して、まだ多少意識のある数人を起したとすると、この不幸な少数のものに、どうせ助かりっこない臨終の苦しみを与えることになるが、それでも気の毒だと思わんかね》

《しかし、数人が起きたとすれば、その鉄の部屋をこわす希望が、絶対にないとは言えんじゃないか》

そうだ。私には私なりの確信はあるが、しかし希望ということになれば、これは抹殺はできない。なぜなら、希望は将来にあるものゆえ、絶対にないという私の証拠で、ありうるという彼の説を論破することは不可能なのだ。

 こうして魯迅は小説を書き始めるのだが、私が心惹かれるのは、魯迅が全然前向きではないことだ。むしろ「私には私なりの確信はある」というのだから、「希望はない」と思っているのだ。

思うに私自身は、今ではもう、発言しないではいられぬから発言するタイプではなくなっている。だが、あのころの自分の寂寞の悲しみが忘れられないせいか、時として思わず吶喊の声が口から出てしまう。せめてそれによって、寂寞のただ中を突進する勇者に、安んじて先頭をかけられるよう、慰めの一つも献じたい。私の吶喊の声が、勇ましいか悲しいか、憎らしいかおかしいか、そんなことは顧みるいとまはない。

 それでもなお、魯迅は「時として思わず」、吶喊(兵士の叫び声)をあげてしまう。自分の書きものはそういうもので、「寂寞」に苦しむ者に慰めともなれば、という性質のものなのだと。

 特定の政治=文学運動にコミットしながら、こういう場面であれば、こういうふうに考えて「当然」とは魯迅は考えていない。それは、自ら選んだ「麻酔」によっても麻痺させることができなかった、自分によってコントロールできない「吶喊」として発せられる言葉だということを魯迅は言う。そういう書き手を私は好ましいと思うし、そういう書き手になりたいと思う。

 選挙前のSNSを見ていると、「寂寞」に苦しんでいるのではないか、という切迫した投稿も多い。そんなことをしても、とも思う。とはいえ、私にできることは魯迅がやったことよりはるかに小さいだろうけれど、私のこれまで書いてきたものがそういうときの「慰めの一つ」になっていたらいいと思うし、これからもそういうものをかければよい。

 もっとも、魯迅の上の引用には次のような文章が続く

ただ、吶喊であるからには、主将の命令はきかないわけにはいかなかった。そのため私は、しばしば思いきって筆をまげた……(中略)……当時の主将が、消極性をきらったせいもあるが、自分でも、みずから苦しんだ寂寞を、私の若いころとおなじように甘い夢を見ている青年に伝染させたくなかったから。

 具体的にはいくつかの小説のハッピーエンド性を高めた(といっても魯迅が言及しているのはとても小さなハッピーエンド性の付加だ)ということで、ここで「主将」と言われているのは『新青年』を創刊した陳独秀を指す。「主将」の命令を聞かなければいけないのか、そのためには「消極性」を捨てなければならないのか、ということについて私にはまだ答えがない。

(引用は、竹内好訳『魯迅文集1』、ちくま文庫、1991年、による)