アナログで文字を書くこと

mosuyuki
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公開:2026/1/9

数年ぶりにシャーペンを持って落書きした。 5年越しにラクガキノートの続きを書く気になって、最初は絵を描こうと思ってノートを開いたのだが、まずは文字で思いの丈をいろいろ綴る結果になった。 絵はまた今度。

5年経つといろいろある。ノートを最後に更新した当時の自分と比べて、あれからずいぶん言葉が達者になった。 当時は自分の気持ち・思い・感じていることを言葉にするのがおぼつかなかった。 今では人から褒められる程度にはなった。 その成長を過去の自分に見せるつもりで、まずは文字を書いた。

フリック入力・タイピングに慣れた思考の速度に手が全く追いつかず、ただでさえ下手な字がますます壊滅的な仕上がりとなった。 ペンを握る力加減もわからず、腱鞘炎確定だ。 クリスタを触っているときでさえ、よほど長時間作業しないと痛くならないのに。

自分の中に悩み・悲しみ・怒りがあるとき『思っていることを紙に書いて捨てるといい』とよく聞くけど、自分の手で書くのはデータに打ち込むより抵抗感があり、それで数年アナログから離れていた。

昔ネガティブなことを日記に書いたら、読み返すたび当時の負の感情が新鮮に蘇ってくるのがストレスとなって、二度と日記を開かなくなったことがある。 その経験から自分の感情を文字にすることに抵抗感があるのだろう。 しかしその不快感はデータで文字を打ち込んでも同じだった。 反省点は、いつでも読み返せるものに記録してしまったことだ。

それに今日自分の手で文字を書いてみて、データで文字を打つより言葉選びが冷静で鋭くないこと、読み返すのがさほど苦痛でないと知った。 イメージでは筆記のほうが感情が乗って、データの文字のほうが冷静かと思っていたが、実際は逆だった。 データの文字はそつのないフォントで自分の筆跡という個性を無くすことで、同時に言葉選びへの責任感も削ぎ落とし、言葉に込められた感情はより剥き出しに、鋭利になるのだろう。 自分の手で書いた文字と言葉は、形は美しくなくてもどこか丸みを帯びていて優しく感じた。

ネガティブなことだと特に、書いた感情が実体を持って自分に返ってくる気がして怖かった。 でもそれでよかったのだ。 鏡に映して見つめるように、自分の感情を認識して受け入れるための作業なのだから。 自分で自分を呪詛返し、攻撃しているのではない。 その鏡に映った私は敵ではない。 受け入れるべき己の弱さだ。