指揮権を持つようなトップでもなく、実際の現場にいるボトムでもない人が、ダウン志向とアップ志向で互いを敵視して言いたいことを言い合う空間では、その言いたい欲が発散されるまで過熱は収まらないし、より良い道筋も見つかりようがない。
トップでもボトムでもない、間に居る無数の人間にできるのはせいぜい緩衝材として機能することなんじゃないかと思う。トップの判断が現場に即していないのもボトムが不満を訴えるのも組織ではよくある図で、そんな時に水かけに終始する人を思うと心底鬱屈した気持ちになる。
自分から見て極端な主張をする人やそれに同調する人にも、そこに至る理由があり、いくら正しさを説いても、理由に対策を打たない限りは軋轢が生じる原因を放置し続けるということだ。正しさから相手を責め立て、優位に立つことを目的としているような振る舞いには「対立側の不満は解消するに値しない」というような横暴さを感じることもある。体制側からのものだろうと反体制側からのものだろうと、そこには追従するものかと思う。
間にいる人は溝を埋める役にもなれるはずだ。とはいえ、進んでそうなろうとする人は稀有な存在だろうし、たとえ組織の中では折衝役を厭わずともそれは問題解決のためであり、言い放ってスッキリしたい無数の人に対してもそうあれだなんて軽く言えるものではない。折衝役の居ないところに好き勝手に放り投げられているのだから、発信する側に立つ際は冷静でありたいし、受信する際も適度に鈍感でありたいと思う。