誕生日に「何が欲しい?」と訊かれても、何も思い浮かばない。物心ついたときからそうだった。つい「何でもいい」と答えてしまい、そのために、与えられるがままに受け取ってきた。
満たされてきたからこそ、欲しいものが思いつかないのかもしれない。また、「『何かを欲している』と主張するのは下品なことである」とか、「わざわざ準備させることに対する申し訳なさ」とか、そういう気持ちもあるような気がする。
誕生日のたびに、何も欲するものがないという立場をとる自分の傲慢さ・贅沢さを思い、生きている理由がわからなくなる。毎年誕生日に気分が落ち込むのはこのせいだ。
なぜ生まれてきたことを祝い、死ぬことを惜しむ? それを出会いの喜びと、別れの悲しみと言い換えられるのか? 「何も欲しない」と言い張って自分の人生に責任を取れない私は、本当の意味では誰とも出会っていないし、誰とも別れていないのかもしれない。そうであれば、生きることに意味なんてない。死ぬことにも意味なんてない。
鬱々としていると、自分が何を考えているのかもわからなくなる。明日は仕事だ。とにかく早く寝て、早く起きなければ。休みぼけしてちゃだめだぞ。