◇
「空氣を読む」ということは、よくよく考えたら、本来いいことのはずだ。
「汚名」を着せられて、昨今ではあまり使われていない印象もある。
汚名を返上したわけではなく、むしろその状態がまさに「空氣」となって漂っているから、かもしれない。
◇
ところでいきなり余談だけど。
ぼくはできるだけ、「気」ではなく、旧字体の「氣」を使う。
それについては別の機会に、書き残しておかなければ、と思っている。
◇
「空氣を読め」というのは、謂わば「察しろ」ということだ。
その場の雰囲氣を察して、状況を把握することは、いいことだったはずだ。
問題は、出る杭を打つこと、何なら打つことさえせず、「引っ込め」と圧力をかける。
そう、出る杭の善し悪しなど関係なく、「わきまえろ」という命令なのだ。
◇
「調子にのるな」、「出しゃばるな」、「場を乱すな」
いろいろ、バリエーションはある。
いずれにしろ、この「わきまえろ」という命令は本当に厄介だ、と思う。
わかりやすい例で言えば、そうやって女性の活躍や進出が阻まれてきた。
もちろん、女性だけではなく、マイノリティも。
◇
逆にこれからは、「空氣を読んで、わきまえない」ことが重要になってくるはずだ。
そういう「風通しのわるい」組織や社会は、内部から「腐敗」していく。
「空氣を読むこと」そのものは、これまでの意味合いとは逆転して、そして重宝されるだろう。
現状維持というのは、停滞していてはダメだから。
「空氣を読め」を命令ではなく、自発的な心構えに変えて、変革の風を通すのだ。
◇
◇ AKUTA Tomonosuke ◇
◇