空氣を読む

芥 知之介
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「空氣を読む」ということは、よくよく考えたら、本来いいことのはずだ。

「汚名」を着せられて、昨今ではあまり使われていない印象もある。

汚名を返上したわけではなく、むしろその状態がまさに「空氣」となって漂っているから、かもしれない。

ところでいきなり余談だけど。

ぼくはできるだけ、「気」ではなく、旧字体の「氣」を使う。

それについては別の機会に、書き残しておかなければ、と思っている。

「空氣を読め」というのは、謂わば「察しろ」ということだ。

その場の雰囲氣を察して、状況を把握することは、いいことだったはずだ。

問題は、出る杭を打つこと、何なら打つことさえせず、「引っ込め」と圧力をかける。

そう、出る杭の善し悪しなど関係なく、「わきまえろ」という命令なのだ。

「調子にのるな」、「出しゃばるな」、「場を乱すな」

いろいろ、バリエーションはある。

いずれにしろ、この「わきまえろ」という命令は本当に厄介だ、と思う。

わかりやすい例で言えば、そうやって女性の活躍や進出が阻まれてきた。

もちろん、女性だけではなく、マイノリティも。

逆にこれからは、「空氣を読んで、わきまえない」ことが重要になってくるはずだ。

そういう「風通しのわるい」組織や社会は、内部から「腐敗」していく。

「空氣を読むこと」そのものは、これまでの意味合いとは逆転して、そして重宝されるだろう。

現状維持というのは、停滞していてはダメだから。

「空氣を読め」を命令ではなく、自発的な心構えに変えて、変革の風を通すのだ。

 ◇ AKUTA Tomonosuke ◇

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@mrukuleleman
吟遊ソングライター