my tree

芥 知之介
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前回の続き、のような話。

感覚のズレ、噛み合わない、波長が合わない。

そういうことは、こちら側の伝え方がよくないのか、と思っていた。

全部ではないにしても、ズレは修正できるという幻想があった。

震災、そしてコロナ禍、ぼくは人とのズレを感じることが多くなった。

でも、よくよく考えてみたら、以前はあまり氣付いていないだけだった、ようにも思えた。

問題は、どこかでわかり合えることもある、なんて思っていたこと。

だけど、ズレているテンポはどうやらずっとズレたまま、みたいだ。

以前、「わかり合えない」ことをテーマにした本を読んだ。

いや、その本を書いた人の、別の著書を読んだのだったか。

そこには、あるマンガ家さんを叱責するような文が書かれていた。

原発事故後の描写を、「風評被害を広げた」と激怒していた。

(結構前なので、しっかりとは覚えていないが)

人の話を聞かない、視野の狭い人。

実績もある人なのに、こんな陳腐な思考しかできないのか。

思考が硬直している人とは、わかり合えるわけがない。

何より、わかり合いたいとも思わない。

「実際の被害」も知っているはずなのに、そこに絶対触れようとしない。

自分に都合のいい言葉で壁をつくって、そこで自分の主張だけをする。

それこそ、本当の意味での「協調性のなさ」だと思う。

会社とかで、そういう人と組まなきゃいけないのは、本当に苦痛だろうな。

ぼくは、どうしても切れない人、というのは現状ではほぼいないので。

そういう人とは、徐々に「縁遠く」する、ということをしている。

それが「壁をつくっている」ことにならないように、注意は必要だけど。

ビートルズの『Strawberry Fields Forever』の中で、ジョンはこう歌う。

No one I think is in my tree(ぼくの樹には誰もいないみたい)

ジョンは、自分が変わり者だと自覚があって。

「クレイジーか天才か」、どちらであっても世間との大きなズレを感じていたんじゃないか。

ただし、それは「案外悪くない」のだ。

ジョンの言いたいことを100%わかるわけはないし、それこそズレているかもだけど。

そう解釈すると、今の自分に響く歌詞だ。

 ◇ AKUTA Tomonosuke ◇

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@mrukuleleman
吟遊ソングライター