肩書きの荷を下ろす

芥 知之介
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三輪から奈良へ、そこから歩きで「ほんの入り口」を目指す。

前から行こうと思っていた本屋さんで、SAVE GAZAの缶バッジを買いに来ようと思っていた。

三輪はじまりマーケットの帰り、途中下車すれば行ける、と思ってTwitterで営業かどうか調べたら。

なんと、フリーライターの青山ゆみこさんが来店される、とのこと。

午前中のイベントには間に合わないが、午後もしかしたらお会いできるだろうか。

しかし、子どもたちに昼ご飯つくって、マーケットに行って。

もっと早く出るつもりが、案の定遅くなってしまった。

JR奈良駅に着いたのが15時半頃、青山さんはそのくらいまで滞在とあった。

間に合わなかったかなぁ、もしかしてすれ違ったりするかなぁ、なんて思いながら本屋さんへと向かう。

結果としては、お会いできて購入した本にサインもいただき。

店主の服部さんと3人で、いろいろとお話することができた。

こんな幸せな展開があるのかと感激した、本当に行ってよかったと思う。

そのことと、青山さんの新刊『元気じゃないけど、悪くない』については、改めて書こう。

今日書き留めておきたいのは、別のこと。

青山さんの著書が、意外と男性に響く、という話があった。

奇しくも、店主の服部さんもぼくも男性だったし、午前中のイベントにも男性が参加していたそう。

青山さんが、どういう立ち位置で書かれているかも、もちろん大きな要因だろうと思う。

ぼくは、ひとつの理由が浮かんだ。

それは、肩書きを背負う男性の方がより、その呪縛から解き放たれたいから、ではないか。

滋賀で最近知り合った若い人が、「肩書きのいらないお話会」をブックカフェで開催している。

参加条件は、「肩書きをなくすこと」。

友人が参加して、とてもよかったと聞いた。

それだけ、ざっくばらんにフラットに話をし合う場というのは貴重なのだ。

ぼくは、肩書きというものに、何というか縁がない。

だけど、肩書きや役職というのは、それだけで「権力」にもなる。

「肩書きを奪う」ということが、権力を奪うことの意味で使われるように。

肩書きは力だが、それを維持し背負って生きることは、何かと苦しい。

「威嚇」でもするように、自分を大きく見せようとすればするほど、自分の小ささが、脆弱さが突きつけられる。

肩書きがないと、男性は特に不便だったり見下されたりするし、ぼくもそれを情けなく思っていた。

けれど、あるときから固執しなくて済むようになり、価値観が変わるとむしろそれを強みに変えたくなった。

主夫であることは、カードゲームで言うところの「役」としては弱い。

それ以外のさまざまやっていることを加えても、「役」は強くならない。

不安定だし、曖昧でわかりにくいのだ、と思う。

そうだ、肩書きの呪縛から解かれたいと思った一番の要因は、みうらじゅんさんだ。

彼は、「イラストレーター“など”」と称し、「など」こそが自分の肩書きだ、と言う。

ぼくは、みうらじゅんさんを勝手にメンター(師)と思っているから、それに大きく影響されたのだった。

『元気じゃないけど、悪くない』は、タイトルからして曖昧で不安定だ。

だけど、それが今の時代、ますます必要なのだと思う。

そう言えば昔、飛行機を飛ばす鍵は「不安定さ」だ、という本を読んで衝撃を受けたなぁ。

今ちょうど、「弱さ」や「小ささ」について、また考えていたところだから。

「不安定さ」や「曖昧さ」なども加えて、あれこれ考えてみよう。

この本の感想も読み終わり次第、この「しずかなインターネット」に書くつもりだ。

 ◇ AKUTA Tomonosuke ◇

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@mrukuleleman
吟遊ソングライター