合わないかも

芥 知之介
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昨日、大津に行ったのは、ギターを売るため。

1年前に、東京で買ったアコースティックギターは、ちょっと難点があって。

結局、手放すことにした。

氣に入っているところもあったので、残念だけど。

購入した楽器店でのネット査定は、納得のいく金額ではなかった。

だったら、比較的近場の楽器屋さんで買い取ってもらえたら、と思った。

LINE査定というのを試したものの、LINEはケータイなしではできないことが多くて。

え〜い!もち込んでしまえ〜、ということで、行ってきたのだった。

子どもたちの春休みがもうすぐ終わる。

新学期最初の1週間はお弁当なしで、昼過ぎには帰ってくる。

週末に入る前に、ならば行くのは今日しかない。

電車に乗りながらも、査定額が低かったらどうしよう、などと考えてしまう。

それならまあ、もち帰ればいいだけ、とわかってはいても。

それより、査定額をちょっとでも高くつけてもらえるイメージをして、上書きした。

緊張しながら店内に入る。

以前、一度来たことがある、アコースティックギター用のピックアップを買ったのだった。

そのときも親切だったし、フレンドリーだった、大丈夫。

結果から言えば、希望通りの査定額だった。

購入店の査定より、ちょっとだけだけど、高い。

それで充分だった。

結局のところ、このギターも購入店も、自分には合わなかった。

こういうことは、仕方のないこと。

以前なら、自分に非があったかも、と悩んでしまっただろう。

そもそも、どうして買ってしまったんだ、という後悔もある。

けれど、それはそういうものなのだ。

どうやっても「合わない」ことがある、と知るしかない。

逆に、それがわかってくれば、今後に活かされるはずだ。

試奏の時点で一度考え直して、冷静になれる、など。

「これしかない」という思い込みは、「合わないかも」という自分の声を聞こえなくさせてしまう。

その感覚を曇らせてしまうと、無駄に「合わない」つらさを味わう。

縁があることと、合う合わないは微妙に違う。

「出逢った」のは、「合う」ことの証ではない。

また、当初は「合って」いても、次第に「合わなくなる」ということもありうる。

そのギターは近々、その楽器屋さんで中古で売られるだろう。

このメーカーのギターは、やはり珍しいようだ。

それが、関西で、新品より安く売られるわけだ。

きっとオーバーホールもされて、新品のときよりよくなって。

次のオーナーに、ピッタリなギターならいいな、大事にされてほしい。

ぼくは、その「仲人」ができたのかもしれない。

いつかどこかで、また巡り逢えたらそれもステキだけど、今のところはそこまでは期待しないでおこう。

 ◇ AKUTA Tomonosuke ◇

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@mrukuleleman
吟遊ソングライター