犠牲の大きさ

芥 知之介
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ピーナッツバターがあって、バンズがあって。

普通にハンバーガーでもよかったのだけど、「ピーナッツチキンバーガー」をつくってみることにした。

ネットで知ったレシピを参考に。

具は鶏モモ肉、レタス、トマト、焼いた玉ねぎ。

タレは、ピーナッツバター、ハチミツ、レモン汁、醤油、にんにくすりおろし。

美味しくできて、みんなに好評でよかった、のだけど。

鶏モモ肉の下ごしらえに、だいぶ時間と労力がかかった。

当分のあいだ、もう鶏モモ肉はもう懲り懲りです、って氣分。

(ただ、使わなかった肉は冷凍してあるので、次回は下処理いらずだが)

ぼくは以前、ベジタリアンだった時期がある。

訳はいろいろあって、一番の理由は「調理がメンドウ」だから。

子どもが大きくなってからは、肉料理もつくるようになった、でもいつかまたベジタリアンに戻りたい。

肉の下処理が得意な人や好きな人ってのも、きっといるのだろう。

だけど、総じて肉食は「コスト」がかかりすぎる、と思う。

飼育のこと、屠畜のこと、それを考慮したら「価格面」だけでもかなり高くつくはず。

最近、「グラスフェッドバター」をスーパーなどでも見かけるようになった。

牛が本来の牧草で育ち、そのミルクでつくられたバターは、やはり高い。

でも、それは「適正」なのだと思う。

穀物飼料での牧畜は、本当は結構「割に合わない」はずだ。

だからと言って、昆虫食や人工肉の議論が活発になるのもどうかと思う。

また、例えば「ウナギ」など、少なくとも今はもう食べるべきではないものは、ちゃんと禁止すべきだ。

現代人は、未来の分まで食べ過ぎた。

ここまで書いて今更だけど。

ここで言う「コスト」は、一般的な、特に企業などが使うものとはたぶん微妙に違う。

「リスク」とか「犠牲」とか、そう置き換えてもいいのかもしれない。

(コストにもその辺の意味が含まれている場合が多い)

安易で安価な肉食は、犠牲が大きすぎる。

ぼくは、それに加担したくない、未来に禍根を残したくない。

余談だけど、ここまで書いたことはあくまで、自分の頭の中で考えたこと。

文献を引用したり、エビデンスを示したり、そういうことはしていない。

けれどそれを必須にすることで、最近ブログが書けなくなっている。

ここは、自分の考えを整理するための場にしたい。

「思い付き」を書き残して、それを咀嚼、もしくは発酵させたい。

今回のことも、ベジタリアンになる際に、自分が何となく考えていたこと。

誰かへの説明ではなかったし、仮説のようなものだから、積ん読本みたいに置かれていただけだった。

改めて考えを整理してみると、また新たな氣付きを得られておもしろい。

ということで、話を戻そう。

ピーナッツチキンバーガーをつくったことで、ここまであれこれ考えるきっかけになるとは。

ヴィーガンやベジタリアンは、揶揄されたり誹謗中傷まである昨今。

漠然とした自分の考えを、こうして言語化できてよかった。

ちなみに、たまたま見た台湾料理の本に、ピーナッツポークサンドというのがあった。

チキンバーガー版を今回つくった、次は大豆ミート版を試作してみたい。

奇しくも、台湾は「素食」という菜食がある、もしかしたらそんなレシピももうあるかもしれない。

 ◇ AKUTA Tomonosuke ◇

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@mrukuleleman
吟遊ソングライター