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「伊集院光の百年ラヂオ」を聴いた。
井上ひさし作のラジオドラマ、「ツキアイきれない」。
『吉里吉里人』のパイロット版、と紹介される。
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井上ひさしの小説『吉里吉里人』、ぼくはまだ読めていない。
あのボリュームに、やはり躊躇してしまう。
しかし、読むなら今だよなぁとも思う。
これからますます、本を読むのがつらくなりそうだから。
(視力的な問題ほか、集中力や思考力も低下していく一方だろう)
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「ツキアイきれない」は、東京オリンピックの直前に放送されたという。
あの東京オリンピックもまた、誰もが大歓迎なわけではなかった。
地方には特に、「しわ寄せ」が行っていたのだろう。
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ラジオ版で、吉里吉里村は隣町との合併を迫られる。
それに対し、自給自足的な村なので、ならば「独立する」と。
隣町は財政難で、実は吉里吉里村の資源等をアテにしている。
庁舎か何か立派な建物を建築中で、財政難というのもどうもあやしい。
それなのに、吉里吉里村が独立することは「身勝手なこと」で、合併は「お互いのため」というわけだ。
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「ツキアイきれない」が放送されたのは、1964年。
形は違えど、今も似たような構図があって、井上ひさしはそれを見事にラジオ劇にしている。
ところで、Wikipediaを見たら、こんなことは書いてあった。
【このときは東京オリンピック開催による愛国的機運の中で不評を蒙り、担当のディレクターが左遷された】
そうなのか、それならなおのこと、ひとつの辺境の村に「独立宣言」をさせるのは、大きな意味があったわけだ。
この「愛国的機運」なんて、身勝手さの成れの果てみたいなもの。
身勝手な連中が、「足並み揃えない」者に対して「身勝手だ」という。
そんなものには、もう「ツキアイきれない」と、三行半を突きつければいい。
身勝手さの足並みが揃うと、ロクなことがない。
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2020年の東京オリンピック(実際には一年延期で2021年に開催されてしまった)の前に、このラジオ劇を知りたかったな。
「東日本大震災からの復興」や「世界一金のかからない五輪」を掲げての招致成功、実際には賄賂があったことなどが問題になった。
けれど、未だにきちんと明らかにされていない。
政治の身勝手さを、この60年でますます悪化させてしまったようだ。
いずれにしても、いい加減しっかり検証して変えていくべきことだと、改めて思う。
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◇ AKUTA Tomonosuke ◇
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