【281】百年文庫85「紅」

まさけ(読書感想記録)
·
公開:2026/2/25

若杉鳥子 / 素木しづ / 大田洋子 著

ポプラ社

死という概念に取り巻かれながらも「生きる」ということを精一杯に生きる事を紡ぎ出してきた女性たちの一片を切り取った作品群です。

生きる活力を滾らす「帰郷」、死の中に生の凝縮を見出す「三十三の死」、絶望のなかでの平和の祈り「残醜点々」

どれもどくどくと脈打つ作品です。

帰郷/若杉鳥子

亡くなった小巻の葬儀に参列するために暫く振りに故郷の土を踏んだ逕子。そこにあったものは親兄妹のために働き尽くして亡くなった一人の芸妓の儚い一生であった。

久々の故郷は見た目には変わりはないが、知る人はいない状況で小巻の葬儀に駆けつけはしたが、本当のところ、逕子の心の深奥にはどんな感情があるのだろうか。

表上の懐かしき過去と共にある苦い記憶たち。

芸妓は集落に住む貧しい人たちから、男を拐かし楽して銭を稼ぐと思われ頻繁に罵声が飛んだ。

小巻は幼い頃に売られ座敷を転々としてやなぎやに流れ着いた。逕子も芸妓の才はないが店であくせく働き、決して楽はしていない。

だが、罵声を飛ばす人達も鉱毒で土地を追われ職を選べないような立場なので、ひらひらする裾や袂が浮世のようで許せなかったのだろう。

そして小巻が受けた屈辱的な対応など、全ては負からうまれ膨張していく、救いの見えない労働者たちの記憶がまざまざとよみがえる。

逕子はとある理由がきっかけに出奔してしまうが、彼女からしてみればちょうどよかったのかもしれない。

外地でも必死に働いたであろうが、自身の選択が可能なのだから。

よく考えれば、そのように出た家で義父母は既に亡く、自身が住んでいた家を引き継いだといえどもほぼ繋がりが絶えた状況で、なぜ土産まで持って帰郷したのか?

それはあるものを確認するためだったような気がする。

それ故に、葬儀に参列するにあたって悲しんでいる表現が乏しいのだろう。

彼女が見ているのは、一生を親兄妹(しかも母以外は義理)に捧げた女の最期ではなく「私はそうはならない」という反骨的なものだからだ。

これを確認しに来たのだ。

悲しみさえ悲しませてもらえない、それさえも踏み台にしなければならない、そんな壮烈な感のある作品であった。

三十三の死/素木しづ

十八才で片足を失ったお葉は「三十三で死ぬ」と自身の寿命を決めることで生きる尊さを理由付けしようとするが淋しさは消えることなく押し寄せるのであった。

恐らく病か怪我により片足を切断、義足を使用するようになったと思われる。

若さ漲る時期のその不幸による悲しみは計り知れないし死んでしまいたいと思う気持ちもよくわかるが、お葉のような考えもあるのだなとある意味での意外さを感じてしまった。

「三十三で死ぬために今この瞬間を悔いなく生きる」

と、プラスに生きていけるかと思いきやそうは行かず、そのように行かなかったらどうしようかと常に不安と淋しさがつきまとう。

三十三で死ぬというのは、いつ死ぬか分からない運命から逸脱した自身が決めた道だけど、それに支配されすぎているさまは見ていて虚しいとしか言いようがない。

そんな決め事なしにして行こうよ!と言ってあげたくなるが、本編上にそのような人はいず、哀れむばかり。お葉の決め事も生きるためには仕方がなかったのだろう。

だが、お葉の決め事は親より先に死ぬという意味では極めて自分勝手であることも確か。

それを考えつかぬほど悲しみと淋しさのスパイラルの中で溺れていたお葉に母が呟いたひと言が全ての解放に導くさまは暗闇を照らす鈍い光のようだ。

ナイフのように怜悧で切れ味のある文体が、お葉の高密度の悲しみや生と死の精神を研ぎ澄ますので、一定の緊張感が保たれていて、それこそ常に冷ややかな義足に触れているような作品であった。

残醜点々/大田洋子

戦後六年が経った広島に戻ってきた私。一時は自死すら考えたが、そこには復興途上の中で苦悩しながらも生きようとする者たちがあった。

三作品とも死というテーマを扱っているが、本作は戦争、しかも原爆によるものということで一番直接的に胸を抉ってくる。

その最たるものが、夥しいほどのなめくじ。

旧練兵場の上に立てられた陋屋は水はけが悪い家の中までも大量のなめくじが入り込んでくる。それを夜じゅう箸でつまんで塩水の入った缶にいれるという。

缶のなかで溶けていくなめくじのさまを原爆投下時の広島の惨状に例えている苛烈さが、のたのたうごくなめくじをさらに亡霊のような人間らしく見せ、戦後六年が経っても、すぐそこにある戦争に慄然とした。

私が会う親族や元夫(訳あり)たちも戦争前後をどうにか生き抜いているが、活力は戦前のそれではない。その間に出てくる原爆投下後のエピソードのリアルさがまたこちらの心を震撼させる。

だが、必要以上に怯えさせようとしているのではなく、事実を淡々と語っているだけで、そうでもしないと生きていけないという点を考えると、やりどころのない虚しささえ感じてしまう。

しかし、皆の心は悲しみに沈むばかりではない。七夕の短冊に書かれた願い。

それを死に物狂いで実行してくれたからこそ、今があるのだ。

戦争の悲惨さから希望そして感謝へと、様々考えさせられる作品であった。

@mskpom
Xでポストした読書記録の保管箱。たまーに追記したりしています。 短編の各作品の感想は特にネタバレ注意☆