SNSを見ていると自分の感性と世の中のズレみたいなものを顕著に感じる。エンタメの定義のひとつとしてラストの救いがあると思うけれど、ラストで急に訪れる救いってあまりにご都合に思えてしまって苦手まである。結局自分では曖昧なものしか書けなくて、他人からすれば「結局何が言いたいの?」って感じだろうけど私だってそんなことは知らないよ。だって普通に生きててそんな綺麗におちることないじゃんって考えちゃうからだけど、フィクション小説においてリアリティはそこまで大切なのかどうか。
私はリアリティのなさが怖くて、これは二次創作による弊害なのではないかなど思ってみた。二次創作において、私は街ですれ違った人たちの話でありたい。特別じゃない、ありふれた恋をするふたりを読みたい。書きたい。ただでさえ二次元のキャラクタを扱っているため、どうしたって存在が嘘くさい。それを極力現実世界っぽく落とし込むことに意義を見出している、やはり二次創作のなかでも稀有なタイプだと思う。自分の感性と世間のズレをここでも感じている。
ま、そのズレがうまく個性になればいいのだろうけど。誰でも共感できて誰でも理解できるものはだいたいすでに書き手がいるだろうし。
小説の器は汚い感情でも受け止めてくれるので、そういうところはとてもありがたいなと思う。SNSは綺麗な感情だけ流すほうがやはり得は多く、そういうふうに使えている人を見ると偉いなあと素直に感心してしまう。