「ライ麦畑でつかまえて」を読んで

真白
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漫画を読んだときの衝撃もさることながら、興味本位でステ円盤を見てから転げ落ちるようにBANANA FISHに狂ってしまい、BANANA FISHと言ったらサリンジャー!と短絡的に本を買いました。まぁ、世間的に名著と呼ばれるものを手に取るのは悪いことでもないし…と己の衝動的行動を擁護してはみたものの、せめて電子書籍にしとけよと後で過去の自分に文句言うんだよなぁ。でも仕方ないんですよ、こればっかりは。私は紙の本が好きなんだ…紙の本なら栞なんか挟まなくたってどこまで読んだかすぐわかるのに、電子書籍になると勝手に記憶してくれてるはずがわからなくなるの本当に不思議。見た目に本の厚さがわからないからかな…

でもって、よくよく調べたらBANANAFISHは別の本の短編に出てくるらしかった。どうりで最後まで読んでもBANANAFISH出てこなかったわけです。

話がズレましたが感想的な話をば。端的に言ってちーっともわかんなかった。原文が英語で読んだのが日本語訳というせいもあるだろうけど、おそらくは本来の言語が持つ言葉選びの面白さみたいなものは多分消えてしまってるんでしょう。

主人公のホールデン・コールフィールドという青年が自分と自分の周りの人間のことをつらつらと語っていく自叙伝的な物語として話が進んでいくのだけれど、このホールデンが皮肉っぽくて理屈っぽくて、何かにつけて自分の不調を人や出来事のせいにしがちな鬱屈した男(そのくせ気取り屋で見栄っ張り)で…なんだってまぁこんなに他者に対する不満や猜疑心を露わにしまくっているのか。この男にかかれば世の中に善人なんてものは存在しないんじゃないかしらというレベルで周りの人間をこき下ろす。かなり不潔だったり女にだらしがなかったりする学友なんかは被害を被っている節もあるので致し方なしとも思うんだけど、なんなら好意を抱いているような女の子さえ自分の意見に賛同してくれないとなると手のひらを返したようになる。

かと思えば自分の兄弟(亡くなった弟やまだ10歳くらいの妹)のことは盲目的に信頼しているし、そのへんで見かける子どもにも友好的、余計なことを言わないからか道中出会ったシスターなんかのことも好意的に受け取っていた。元々作家をしてる兄のことは評価していて好きだったみたいだけど、こちらも自分の嫌いな映画の脚本を書くようになって他の人よりマシとは言っているけど信頼を寄せている感じではなさそう。

入院に関する詳細に触れられていないからホールデンが何が原因で病院にいるのかわからないけど、なんとなく精神的なものなのかなと思ったり。だってあまりにも子どもに対する執着がすごい。いわゆる小児性愛というわけではなくて、自分自身がいつまでも子どもでいることを望んでいて、変わっていく自分と世間とに適合できていないかのような印象を受けた。大人になりたくて一丁前に大人のような振る舞いをする。周りのティーンみたいに性的なことに興味もある。だけどあと一歩のところであらゆる言い訳をして踏み止まる彼はやっぱりどうしたって大人になれないし、たぶん大人になることが恐ろしくてたまらないんじゃないか。そこまで考えたら、なんだかホールデンだけが特殊な人間じゃないような気がしてきた。私だってそれが仕事になるのなら、ライ麦畑で駆け回る子どもたちが崖から落ちそうになるのを捕まえてあげる仕事だけをして生きていたい。

いけすかないクソ生意気なティーンエイジャー、ホールデン・コールフィールド。でもきっと、10代半ばから終わりに差し掛かっていた頃の自分にもそんな部分があった気がする。

進学と就職の選択を迫られながら自分の将来に目を向け始める時期、大人ぶってみても結局は子どもで、自分一人で出来ることなんか何もなかった。自分が何者で、これから何になりたいのかもわからなかった。数年先の未来を考えるのが怖かった。あのときは思わなかったけれど、ずっとあのままでいられたら楽だったなぁ、良かったなぁ、と今になって思う。だっていつの間にか大人と呼ばれるようになって、世の中のいろんな汚い部分とか怖い部分とか知ってしまったから。もちろんそのぶん、楽しいこと、素敵なことにも気づけたんだけど。

世間的にはもうすっかりいい年齢なんだけど、まだまだ自分としては大人になりきれてないなぁといつまでも思い続けている。だからティーンのホールデンのこと「坊や、まだまだガキだね」って鼻で笑って済ませてやれなかったのかもしれない。10代の頃に出会っていたらまた違った感じ方ができて、面白かっただろうなと思う一冊でした。