MOTHER3に関していろいろ見てたら悪童日記というのが目につき…なんでも主人公の名前をここから取っているとか?インスピレーションを受けた小説ということで…どうやら三部作のようなのでまとめて購入したものの、何やら映画があることに気づき。とりあえず見てみようかなと映画から手を出してみました。
戦時下のハンガリーで両親と暮らしていたらしい(父親は戦地に行っていて一時帰宅していた)双子の兄弟が主人公で、彼らが母親に連れられて田舎の祖母のところに疎開していくところが始まりなんですけど…なんともまぁ、母親の実家であるはずなのに母娘の関係が極悪。そこにいきなり双子を預けて去ってしまうのマジで!?って純粋にびっくりした。しかも必ず迎えに来るから頑張って生きろとか、どんな状況でも勉強をやめるなとか結構注文が多い…その前にまず婆さんとの関係フォローおなしゃす…という感じではある。
戦時中の貧しく厳しい環境下、働かなければ食わせてもらえず、なんなら家の中にも入れてもらえない。当初は傍観していた二人も空腹に耐えかねて祖母の手伝いを始め、やがて世の中を知っていく。おそらくそれなりにいいお宅のご子息だったであろう二人は初めこそ盗みを働いた少女を悪と断じて罰を与えるんだけど、彼女が目と耳の不自由な母親に食べさせるのに必要だと言ったら見逃すどころか与えてさえくれる。さらには少女と共に盗みをするようにもなる。要するに生きていくための勉強をしてるってことなのかな。
はじめは肉体的にも精神的にもやられていた二人は自分たちで痛みや苦しみを克服する訓練をして次第に強くなっていく。お互いにぶん殴りあったり罵り合ったり…もすごいけど、なかなかグロい映像もありましたね。虫が嫌いな人はマジで見ない方がいいです。
何かの目的のために平時では悪とされることを履行することは彼らの中でおそらく正義なんだろう。だってキリスト教を信じながらも大人たちは誰も十戒を守らず、殺し合ってばかりいる。残酷に慣れなければ生きてはいけない。だからその訓練として小さな生き物から殺して慣れていくことは致し方がない。矛盾の中で人は生きていくものだ。
独自のルールで生きる彼らにはおそらく偏見はない。ユダヤ人の男から靴を買うし、境遇を哀れんで二人分の靴を恵んでくれた男に恩義を感じでもいる。一方、ユダヤ人が収容所送りになることを傍観してもいる。もちろん何かしらの感情を抱いたとしても、双子の子どもに変えられるものなどない。
だけれども、その強制連行の列を揶揄いながらパンを齧り、世話になった靴屋を密告した女性を彼らは悪として断罪する。罪を犯したら罰せられるのが当たり前だから。
双子は他人が望む死を手伝うことも厭わない。当たり前のように顔色ひとつ変えずに履行する。そこに至っても、彼らの「訓練」はまだ終わらない。
終戦を迎え、占領軍が村に入り込んで来たころ、母親が赤ん坊を抱いて知らない男と共に迎えにきた。拒否したのは、自分たちが困難な状況下で頑張ってきた中、母親が新たな家庭を持っていたことに失望したからか。
それから捕虜にされていたという父親が訪ねてきても喜ぶ様子は見られなかった。そういえばこの双子、痛みも苦しみも何もかもへっちゃらだけれども、二人が引き離されることだけは死ぬよりも辛いと言っていた。疎開する前に双子は目立ちすぎるからと離れ離れにしようとする父親の言葉を聞いて、頑としてこれを受け入れなかったから結果として祖母の家に世話になることになったのかも…?
二人でいることを咎めなかった、引き離そうとしなかった、というところで祖母に対してはある種の義理みたいなものが芽生えていたのかもしれない。最後の方は祖母と独特な関係を形成し、愛情のようなものも垣間見えた気がする。
世話になった祖母の最期を見届けたあと、国境を超えて逃げようとする父親に手助けを申し出たと思いきや、彼らの定めた最後の訓練「別れ」を行う時が来たらしい。
国境付近に埋められた地雷を避けるために父親を先に行かせ、その遺体を乗り越えて進んで行くところは逞しくもあったけれど、そうまでして二人が自ら別れることを選ばなければならない理由は何だったのか…
映画はそれぞれが国境を挟んで反対方向に走り出して終わっていた。人間の恐ろしさ、醜さ、その中にある純粋な心、無垢の狂気みたいなものを感じる作品だったなと。月並みだけど、戦争は当たり前の日常と人間に与えられた理性を容易く奪ってしまうもので、恐ろしく、絶対に何かの手段にしてはいけないものだとも思いました。
小説の方は三部作ということなので、本が届いたらこの先を確かめようと思います。