ごきげんよう。みつぎです。すっかり間を空けてしまい申し訳ないです。
何となく、てがろぐが簡単な日記になっている感覚があり、ここでお話する事が思い浮かばずに1か月経過していました。時間が経つのは早いですね。いつだって太陽は待ってくれない。ああ、本当に、はやいなあ。
創作の話。
「夜を食む」と全く別の話を短編として書いていきたくて、中々書けずに困っているところです。
でも自創作として扱うのであれば、この話はどこの管轄だろう、やはり憂鬱→あなざーほりっく、と進みがちです。「あなざーほりっく」というのは、憂鬱の外側の話です。
知らんがな、忘れたわよ、と言う方のために少し説明をさせてください。
わたしが「憂鬱」と呼んでいるのは黒の界(くろのかい)と呼ばれる、「地図に記載がない街に住んでいる人々の間に起きている、様々な事象の記録のようなもの」です。この街に住んでいる人々は、自分たちの街は地図にも記載があり、現実のように観光地もあるものだ、と思い込んでいます。ですが観光客などは居ません。今は外国との交流などもありません。いにしえにはあったかもしれませんが、このいにしえというのは、黒の界が黒の界になる前の話なので、この時点では可能性のひとつとして外交などがあったかもしれないのですが、そこはこの創作に必要ないかなと思っており、詳細を突き詰める事をしていません。ごめんね。
黒の界が、とある神様の手の上でふわんと浮いている街と仮定して、この街の端というのは緩やかに消滅しているようなエフェクトがかかっています。そのため、何かに気付いた住民が街の端の方へ行ったとしても、いつの間にか街の中心部に戻ってきている、という設定になっています。今決めました。
「黒の界の外側」というのは、とある神様の手の上で時間がループし続ける黒の界(神々の視点から見ると街自体が球体である、と思うと解りやすいかもしれませんね)を観測する存在と、黒の界を観測できる場所にいるが観測自体はしない様々な存在たち、その存在たちのためのせかいを「あなざーほりっく」とわたしは呼んでいます。
「あなざーほりっく」には複数のせかいが存在しています。「あなざーほりっく」と呼んでいるのはわたし(作者)のみですが、この世界を「失敗作」と呼ぶ存在もいます。神様です。外側にいる神様なので、憂鬱とは大体無関係ですが、黒の界で起きていることは認知しています。しかし、この神様がつくったせかいは失敗することが多くあり、彼は面倒になって黒の界に居る、人ならざるものにその管理を放り投げたりしています。未完成の山、失敗作、そう彼は呼んでいますが、黒の界と比較しているから作るのを適当にしてしまうのでしょう。黒の界は結構しっかり作りこまれている(と信じたいです)ので、その完成度などと比べて新規の世界を創造しようとすると、あっこれ違うなーになる。創造途中なので異なっていて当然ですが、それに嫌気が差して世界創造をそこで放棄してしまうのが彼の未熟さだとも考えます。
即ち「捨てられた場所」。それが「あなざーほりっく」なのですが、いくつか世界が存在しています。
刻の死んだ都市を五百蔵烏(いおろい・からす)が管理しており、旧校舎では柳楽(なぎら)と伊緒(いお)が夕暮れの色に染まりながらまだ泣いており、泥寧では名の無いモノ達が一粒のガラスを探し、雨垂れの淵では龍神の息子の貴世斗(きせと)が猫と暮らして、地の獄では帽子を目深に被った青年と獄卒がゆったりと話をし、Re:cobaltは赤と青のふたりが記憶を探して、星燈舎(しょうとうしゃ)では死神が少年の命を奪いたくないと泣いていたり。
最近うまれたのが地の獄です。彼等の話を書きたくて今、大体の設定を練って、止まっています。そして冒頭に戻る、という感じになっているのです。
長々と話をしてしまいました。久しぶりに設定を語り、とてもきもちが、よい……と戸惑っています。興奮したのかな。こわいな。
現実の話。
就職が決まりました。やったー。いつまで続けられるだろう、と怖くなっています。こわいよ、どうしよう、決まっちゃった、最初は迷惑でしかないのでそれが本当に嫌だ……とぐるぐる考えています。
六月から出社です。恐れています。しかし太陽は待ってくれず、時間は過ぎるものですので、覚悟を決めなければなりません。
がんばります。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
最近は寒暖差熱中症と呼ばれる症状があるそうです。夏本番はまだ先だと思いたいですが、熱中症には本当に気を付けましょう。みつぎとの約束ですよ。生き延びましょうね。