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犬が亡くなった。

元々心臓を患っていた。数年前からは副腎も悪かった。膀胱結石もあった。沢山の疾患を持っていたが、食べることが大好きで、散歩が大好きで、人と犬が好きだった。

この子が家に来た時のことを今でも覚えている。小学六年生の冬の朝だった。

クリスマスプレゼントとしてうちに来た。念願で待望の犬だ。

朝、犬の高い鳴き声で目覚めたあの喜びと驚きは幸福以外の何者でもなかった。

「何か聞こえるよ」と芝居がかった口調で言う母の顔。リビングのケージの中にいた黒い毛玉のようなあの子。母と弟が愛でる中、私は噛まれるのが怖くて上手く触れなかった。今思うと、あんな小さくて弱々しい生き物の何が怖かったのだろう。

うちのアイドルの登場である。それは亡くなるその日まで変わることのない共通の事実だった。

名前の候補は、最初「ジュエルちゃん」だった。煌びやかでいかにも可愛らしい名前だ。それがいつのまにか「アシェル」になった。これは母が子供の頃飼っていたイングリッシュシープドッグの名前だが、私はアシェルという名前の意味をいまだに知らない。知らないが、これほど愛しく得難い響きの音はもう無いと断言できる。15年と少し、誰の名前よりも呼んできたと思う。アシェル。

イタズラをしない子だった。

記憶にあるのは一度だけ、留守番させた日に家に帰ると、置きっぱなしにしていた漫画を噛みちぎられていたことだけ。覚えているのはその一度だけだ。暇さえあればかまい倒していたからだろうか。そうであれば嬉しい。

散歩は驚くほど歩く。

本犬の気分がいい日は3時間行く時もあった。1時間は当たり前だ。跳ねるように走る後ろ姿とぷりぷり振られるお尻はいつまででも見ていられた。私も母もインドアで、犬至上主義だったことを今も幸いに思う。この子の幸せに直結できたと信じている。長時間の散歩も苦じゃなかった。毎日家で一緒にいれた。「あの時もっと一緒にいられれば」とは当たり前に無尽蔵に思うが、恐らく他所のどこかよりかはそう言う類の後悔は少ないだろうと思う。比べるようなことでは無いが。

半年ほど前に血管肉腫と診断され、苦渋の決断で手術に臨んだ。服用している薬の関係で手術はできるだけ避けたかったが仕方がなかった。しかし手術が成功しようとも、余命は1〜3ヶ月だと告げられた時は、この手術に意味はあったのかと正直疑問に思った。

1〜3ヶ月。正に瞬きの間である。

15歳の誕生日を共に迎えることも、年を越すことも叶わないのかと絶望したことは記憶に新しい。何せ人生の半分以上を共に生きてきたのだ。本犬としては文句を言われる筋合いはないと憤慨するだろうが、今更いなくなられても正直困るのだ。それくらい一緒にいたのだ。

しかしまァこの子は強かった。あまりにも強かった。

術後驚くべきペースで回復を遂げ、「術後でなんの処置もせずにここまで元気な子は見たことがない。同じ病気の子の希望になる」と医者は言った。

そうだろう。うちの子は凄いのだ。偉いのだ。

どんな生き物よりもどんな存在よりも素晴らしく尊いのだ。私の全てなのだ。

無事に15歳の誕生日を迎えた。共に年も越した。油断していたのだろう。

下痢が止まらなくなった。嘔吐を繰り返すようになった。次第に食べることも叶わなくなり、とうとう水も飲めなくなった。

最初、病院からは命に関わるようなこととは聞かされていなかった。だから亡くなるその日まで、まさか死ぬとは思っていなかった。

酸素カプセルに入れられ、沢山管を繋がれ、苦しそうに頭を振るあの子の姿が頭から離れない。

その姿を見た後で、延命なんて選択できなかった。あの苦しみ様を長く続けさせることを選べなかった。あの子は苦しくても生きたかったのだろうか。あの子の為だと信じて選んだことは間違っていなかっただろうか。分かることは永遠にない。でももう、沢山の種類の薬を飲まなくて良くなった。大嫌いな病院で恐怖に震える思いもしなくて良くなった。それだけは純然たる事実だった。

心臓が止まった直後も微かに身動ぎする体を見て、「まだ動いている」と泣き喚く弟の声。

延命を断り、あの子の体を撫でながら「もう連れて帰ります」と呟いた母の声。

自分の汚い泣き声。

待合室で待ってる間、何故か繰り返し思い出すことがあった。

引っ越す前に住んでいた家の近所にある大きな公園の広い丘。そこで犬を放して走り回らせた記憶だ。リードを放しても必ずこちらに戻ってくるあの子の顔。跳ねるように走り、一度私の元に戻ってきた後すぐに走り去るあの姿。

何故その景色を思い出したのかは分からないが、間違いなくもう二度と見れない景色だった。

体を綺麗に拭かれたあの子は、紙でできた簡素で大きな棺に入って私たちの元に帰ってきた。

本当に寝ているだけのように見えたが、よく見ると目は開いたままで、常に忙しなく起伏していた腹はもう静かに凹んでいた。

元々肥満気味だったこの子は、手術を経た後少しずつ体重を減らしていき、亡くなった時には半分ほどの重さしか残っていなかった。タプタプとしていた腹を「デブだな」と笑っていたはずだが、その時の腹は信じられないくらい凹み内臓が足りていないのではと錯覚するほどだった。

家に帰り、いつもの寝床に寝かせて毛布をかけた。

いつもその毛布が呼吸で起伏するのを見るのが好きだった。そのせいか、一瞬動いているように見えることが今も多々ある。本当に寝ているだけのように見えるのだ。

数時間もすると、死後硬直が始まり温度が失われていった。温かくないこの子の体というのは、夢のようで、信じられなくて、硬い皮膚はこの子のものじゃないみたいだった。

毛並みは変わらずフワフワとしている。

肉球は変わらず香ばしい、いい匂いがする。

変わらない所と、圧倒的に変わってしまった所が混在していて、意味が分からない。

深夜、寝れずにいた私に向かって母は礼を言った。

「ありがとう。お前が協力してくれなければここまで一緒にいれなかった。不便をかけた。これからはもう出かける日取りも時間も自由だ」

やめてほしかった。

柄にもないことを言ったりして、現実味を帯びさせないでほしかった。

この子がひとりぼっちにならないように、母と協力して誰かが家にいるようにしていた。不便を感じることはあった。だがやめたいとは思わなかった。自由なんていらないから一生一緒にいたかった。

散歩に行きたい。

外に出ると、どこもかしこもあの子との散歩コースばかりで恐ろしい。

私の人生にはこの子が溢れすぎている。

体の傷みを意識せざるを得ず、今週火葬と葬儀が決まった。

「そんなに早くいっちゃうの」

「ずっとここで寝てればいいのにね」

母の涙声の呟きが、これもまた頭から離れない。

15年とは文字で見ると長いのに、この子と一緒にいた15年はこんなにも短い。きっと20年だろうがそれ以上だろうが同じことを思うだろうが、後数日でも一緒にいたかった。

誕生日を迎えられないと言われた君。年を越せないと言われた君。全て乗り越えた君。

家族が全員揃うまで待っていてくれた君。

私のアシェル。

もういっちゃうのか。

ずっとここで寝ていていてくれないのか。

君のいない人生は長いよ。

もう動物は飼わないよ。

私には君だけだ。

私が愛した子は生涯君だけで、君で終わりだよ。

全部君にあげるからね。

どうか受け取ってね。

大好きなおやつのように、ムシャムシャと食べ飲み下してくれ。

私のアシェル。アシェル。アシェル。

アシェル。

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