おおきいいぬふわふわしたい

松本
·

大きい犬、ふわふわしたいよね〜〜〜〜。

わたしは元来、犬嫌いだった。

私は生粋のビビリで小心者だが、それを加速させたのは私が5歳ごろに起こった「わんちゃんガブリ未遂事件」以外にありえない。

家族でお散歩に行った帰り、わたしが「カピバラさん」の一番くじでいい賞を当ててウキウキで帰っていた時のことだ。人家の門の近く(1番車道から離れている位置どりだったからだろう)を歩いていたら私は、突然犬に襲い掛かられた。幸い犬の牙はその犬の家の門が阻んだため体は無事だったものの、お気に入りの水色のふわふわコートにガブリと噛みつかれた記憶は、私の記憶に大きな影を落とすに十分な恐ろしさだった。

その犬はどうやら雑種の犬だったらしいが、その巨大な体躯と毛足の長さから私はゴールデンレトリバーだと勘違いを起こし、以来ゴールデンレトリバーをはじめとする大型犬からどんなにちっちゃな犬でさえも怖がるようになっていた。

だってごらんくださいよ、大型犬ならいうまでもなく、小型犬にも可愛らしいフェイスには似合わない鋭い牙がギザギザに生えているのだから。小型犬は脚などのローを狙ってガブリ、大型犬は下手すりゃ喉笛掻っ捌かれていっかんのおしまいじゃないですか。

幼い頃は割とガチでこう思っていた。

嘘である。

割と最近までこう思っていた。

対向車線から犬が来るたびにその犬を凝視し、犬を怯えさせ、うわんうわんと近寄ってくる犬をビクビクしながら避け、足早にその場を去る。ほんの2、3年前までそんなルーティンで日々を過ごしていたのだ。

そんな情けない日常の転機となったのは、絵の名義に使っているHNに「犬」の字を入れたことだ。完全にフィーリングで名付けた名前であったが、だんだん響きが気に入って、犬そのものへの愛着も日増しに増えていった。ロゴを犬にしたり、アイコンに犬を描いたり、代理を犬にしたり……犬はビビリの私の心の隙間に取り入り、わふわふと心の中に居座るようになったのだ。おのれいぬめ。小癪なやつ。かわいい。

そしてそんなこんなで(本当にそんなこんなだったのだ。いずれ文にしたい)犬を飼い始めた。コーギー犬にしたのは、私が昔見ていた映画の擬犬化ファンフィクションのコーギーわんこがとても可愛かったことを覚えていたからだ。なにより尻。こぎケツを見て無事に帰れる人間などそういない。あっという間に私の中で犬は特別な存在になってしまった。

しかしながら、しばらくは大型犬は怖いままだった。だって……デカくない?あんなん人襲われたら死ぬで?という思いがどうしても私のワンチャンわふわふ愛でたい欲求の邪魔をしていた。

しかし、一匹のゴールデンレトリバーが、私に犬の優しさを教えてくれた。

ペット用品店での出来事である。私が商品を見繕っていると、一匹のでっかいゴールデンレトリバーがこちらへやってきた。さぞご機嫌でしょうねと言った様子で尻尾をぶわんぶわんとふりたくったその犬は、私へ体当たりするように体を撫で付けてきた。

かわいい。

可愛すぎないかこの生き物!??

ぶつかってきたにも関わらず、私はその犬に一切の恐怖を感じなかった。もふもふの体を寄せて、撫でてください!撫でてください!をする犬。しかもデカくてふわふわ。

オイオイ……。

やりやがった。こんなんかわいすぎるって。

私は陥落した。15年以上私の心を覆っていたデカ犬への恐怖心は、もこもこふわふわのかたまりちゃんによって、ばうばうのわふわふに砕け散った。あとにはもう、わんわんかわいいでちゅね〜♡の感情しか残っていない。

ご機嫌可愛いゴールデンレトリバーちゃんとはほんの一瞬しか触れ合えなかったが、私の凝り固まった臆病な心を抜け毛まみれのわんまみれにするには十分すぎる時間だった。

なんとしてでも、撫でたい。

また、でかい犬を撫でたすぎる。 

我が家のちいちゃめコーギーをわしゃり、後頭部の匂いを肺いっぱいに吸い込みながら(そして犬に迷惑そうな顔をされながら)、私は魅力的な大型犬との出会いを待っている。

大型犬よ、わしゃらせてくれ。

もふもふぱふぱふさせてくれ。

あわよくば添い寝させてくれ。

何卒ご検討のほどよろしくお願いいたします。

わんわんお。