【映画】シチリア・サマー

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11月27日。朝。

映画のお誕生日クーポンが今日までだと気づき、仕事も手につかないので映画を観に行くことにした。ほぼ半額。ただでさえ最近はアウトプットしっぱなしでインプットが疎かになっていると自覚しているので、この期を逃すわけにはいかないといつも頭の片隅にクーポンのことが浮かんでいた。

身の回りでゲゲゲの映画が良いと話題になっているので、ぼんやりと観るならそれかなと思って予約サイトを開くと気になる映画を見つける。バイクに乗って綺麗な街並みを走る少年。抜粋された画面がどれも綺麗で目を引いた。あらすじを読むとどうやら本当にあった出来事を元にしているらしい。「その日2人の美しい少年が死んだ」というフレーズ。ゲゲゲと悩んだが最後の決め手になったは座席の空席具合だった。

1人で映画を観るのも久しぶりだなと思い、用意された座席に座る。予約サイトには『NEW』との表示がされていたけど人はまばらで私と同じく1人で来ている人ばかりだった。

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1982年、初夏の日差しが降りそそぐイタリア・シチリア島。バイク同士でぶつかり、気絶して息もできなくなった17歳のジャンニに駆け寄ったのは、16歳のニーノ。育ちも性格もまるで異なる2人は一瞬で惹かれあい、友情は瞬く間に激しい恋へと変化していく。2人で打ち上げた花火、飛び込んだ冷たい泉、秘密の約束。だが、そんなかけがえのない時間は、ある日突然終わることに──。

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全体を通してとても心の動きを丁寧に追っていく映画だなと感じた。初めは「心理描写が丁寧だった」と書いてみたが、なんだかしっくりこなかった。主人公2人の心の動きに関してはもちろんながら2人を取り巻く登場人物たちにもしっかりと焦点が当てられていたように感じた。ここでこの人は一体どんな気持ちで何を思っているんだろう、という長尺のシーンが多くこちら側に感じさせる時間を多くとっていたように思った。はっきりと「描写」はされていないのでしっくりこなかった理由はこれだと思う。ニーノの甥がバイクで置いていかれるシーン、音楽をかけてジェン二と母が踊るシーン。いまこの人は何を思っているんだろうと考えるところが多かった。

ニーノとジャンニ2人が出会い、仲を深めていく中で相手に対する気持ちを言葉にして伝えるシーンはほとんどなく全てが行動やしぐさに溢れ出しているみたいだった。ニーノが自分のお気に入りの川にで花火についての話をする時、ジャンニは楽しそうに話すニーノの表情しか見ていなくて「好きなものの話をしている時のお前が好き」感がちょっとやりすぎなんじゃないかくらい伝わってきた。

もう終電のバスが無くなるから急いで帰らないと!というシーンでのカメラワークが最高で、印象的だった。道路を挟んで向かい合う2人。バイクのミラーに映ったニーノの表情。バスが2人の間に。進むバスを少し名残惜しそうに目で追う。すると乗ったはずのジャンニがまだ同じ場所に立ってる。笑う2人。一連の流れがワンカットに収められていて良すぎた。ニーノと一緒に、観ているこっちまでめちゃくちゃ嬉しくなってしまった。逆に2人が恋仲なんだとおばさんにバレるシーンはとても不穏に演出されていて、グロシーンは無くともミッドサマーを観た時に感じた嫌さや不安感があった。

2人が引き離されて最終的に味方だったのは兄だけで「秘密だったら何百年だって続けられる」と言っていたのが印象的だった。

最後、ニーノのお気に入りの川で2つ銃声がして映画は終わった。

映画の帰り道、実際にあった事件のことも調べた。当時は同性愛者への偏見が強く、その2人の死が自殺なのか殺人なのかそれも曖昧になったらしい。触れてはいけない話として扱われていたようだった。

2人を取り巻く環境はひどいものではあったけど、観終わるとほんのり暖かく優しい気持ちになるそんな映画だった。だれかにこれを話したい!勧めたい!というよりは自分の中に大事にとっておきたくなるようなそんな感じ。

今どき、何か創作物を作るときに「とにかく分かりやすく、見せ場を早く」と考えてしまうがそんな今どきとはかけ離れていた。それが売れる作品になるかは別だけど、と映画選択の決め手になった座席のことを思い出した。それでもやっぱり私もこういうものをつくりたいな、そんなことを思いながら来年のスケジュール帳を買って歩いて帰った。

@mtmtmt
観たり聴いたり読んだりしたものの感想とメモ