【次に添付する文章を300字程度に要約してください】
刀ミュ『静かなる夜半の寝ざめ』は足利尊氏と弟の対立を軸に、山姥切国広と長義の関係を重ねた人間ドラマが魅力的だった。歴史に疎くても理解しやすい構成や舞台演出、劇場環境も良好。『静かの海のパライソ』との共通点として、民衆の幸福や平和をめぐる理想が崩れる構図があり、倫理・道徳・責任といったテーマが強く意識された。刀剣男子が「歴史改変を許さない」役割を担う一方、人命より歴史を優先する姿勢には現実世界の悲劇との距離感から葛藤も覚える。時間遡行軍の描写には現代的ヒューマニズムも感じられ、作品全体が2.5次元作品としては重いテーマを扱っている点が印象的だった。
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【本文】
結論、面白かった。刀剣乱舞ミュージカル『静かなる夜半の寝ざめ』は南北朝時代の足利尊氏を軸に物語が展開され、人間ドラマの中心は弟関係の仲たがいだ。ここに疑似的な兄弟関係(たぶん)である山姥切国広と長義が重ね合わされてエモエモのエモになっていると思われる。
歴史好きの間でおなじみのやつ、なのか知らないけれど歴史にまつわるドラマとしてはわりとあるやつ、だろう。意図せず相反してしまった事象はジレンマが読み取りやすくドラマが描きやすいんだろうな。
序盤から歴史に疎くても分かる導入の丁寧さがちゃんとあって助かった。逃げ若をちゃんと読んでおけば~と思いもしたけれど、舞台上で再現ドラマを見せる臨場感の出し方も良かった。テレビなら再現VTRになるところが目の前で展開していくので不思議と動きが感じられた。演劇向けの劇場にあまり行かないので分からないが、スカイホールの照明演出は明暗と色味がバキッと出ていて良かった。あと低音がしっかり出ていて耳栓が欲しいくらいの音量だった。それでいて高音や人の声が消えないミックスも出来ていて良い劇場だった。座席も1階の後方で心配していたが十分な傾斜と1席当たりの面積が確保されていてストレスがかなり少なく済んだ。
予習に『静かの海のパライソ』(以下、パライソ)を鑑賞していた。見ている最中はあまり必要性を感じていなかったが、本作の歴史修正が「共和国」という夢の実現に置かれておりテーマの通底を読み取れた。パライソでは民衆の幸福を実現するために一揆が起こり、本作でも民衆の幸福のために存在しえない共和国の理想が打ち砕かれていく。この構図がほぼ同じなので物語としても似ている話をしているなぁと感じた。とくに今回は「平和」が打ち出されていて『ヴィンランド・サガ』だなぁと。あと部分的には『ドリフターズ』でもあった。
パライソの感想を延長しつつ本作で考えたのは倫理、道徳、責任だった。パライソは2020~21年の上演で現実世界ではその間にウクライナ、ガザ、スーダン(これ以外にも、これ以前にも)で数万人単位での死者が発生している。そのためパライソで描かれていることにあまり肯定的に捉えられない節が自分の中にある。これは制作側があまり意図していないことのようだし、逆にそれを飲み込むテーマ的メッセージもあるよと言われても納得する側面もあるような気がしている。がどっちつかずでモヤモヤを保っている。
パライソでの結論はこれまでの刀剣男子の行動と一致しており、歴史の改変を許さない=役割を徹する。そのうえで歴史のテキストで無機的に見過ごされてしまう人間の存在に光を当てる。この両方がありパライソでも実践されている。この「歴史の改変を許さない」があまりにも非人間的で実際にはありえない想定にも関わらず、主人公サイドとして観客の寄る辺になっている変さがパライソでは目立っていた。
具体的には島原・天草一揆の死者(3万人超)の被害者を歴史的な事実だから否定しない、という態度だ。これは歴史改変を許さない立場からすると至極当然だが、それでいて刀剣男子本人たちがジレンマを抱えている描写もある。人命と歴史的事実の天秤が刀ミュの根本的なジレンマのドラマなのだけど、これが容易に現実世界に持ち出せないはずなのにそうは見えないのがちょっとあれだなと思っている。
歴史的にしゃあないのでそうする、の暴力性が見えずらくなっているような気がしており、それが2026年現在に進行している各種事案との折り合いが非常に良くないので道徳的なもやもやの発生源になっている。ここで江戸以前の出来事しか取り扱えない設定が非常にうまく作用しているなと思う。これにより時代的に遠い安全圏からその死者に思いをはせることが可能になっている。だけれど私には島原・天草一揆の悲劇性を見つめるのは良し、けどそれで終わって良いのか?との自問が同時に立ち上がってしまう。
これは私の性分のせいかもしれないが、私(観客)の立ち位置はその死せる3万人にあるはずなのにそれを否定できない立場に同調する鑑賞体験が生まれている。これはまるで「経営者視点を持て!」と言われるのに似ている。労働者は経営者では決して無い。利害が対立する視点を内面化すると自らを阻害していくことになり存在が危うくなる。ダブルバインド的な不健康さでもあり歴史的なしゃあなさで片付けられるには私の存在の確かさはあまりにもデカい。それは他人も同様で過去の3万人だけでなく現在進行形で虐殺されている人がいる現実(これも歴史的事実なんですか?)を素通りできないでいる。その人たちは現に私ではないけれど、私でなかった理由は特にない。
思考実験として、もし時代改編の対象がナチスドイツによるアウシュビッツ収容所ならどうだったか?を考えると刀ミュですり抜けていることが際立つような気がする。それが「歴史的事実」だとしてそれを無かったものにしない、という描写を何らかの作品で行うことは現行かなり難しいと思われる。それはひとえに出来事との距離が(多くの人にとって)近く感じられ、善悪の判断基準が明確に存在するからだろう。
刀ミュには実際のところ善悪の判断がないように思う。人命の尊さに言及するものの天秤は常に歴史的事実に傾きがちで、役割を全うすることが肯定される。ここも反転すると危うく作用する部分であって、まさしくホロコーストが実行されるには役割を全うする人間の連鎖が必要だったからだ。「与えられた」役割と枕が付くことが多いが現実には「得た」役割が大事なのであって、しかも役割は書き換え可能だ!の転換が必要に思えるが今のところそうなっていない。歴史的に(結果的に)無かった命であれば無くてよいので殺す、と割り切る彼らの態度はかなりえげつない。それを打ち破るのが三日月宗近の存在なのかもしれないし、歴史的事実の干渉しない範囲で掻い潜るといったハッキングは秘密裏に行われている。
ここであまり顧みられないことに「役割」の日常的な無さがある。刀剣男子はそれを持っていることを自認しているが、普通一般的に生活している私(観客)にそういった役割は無い。運命的にどうやっても抗えない決定的な役割ってまあ持ち得ない。というか未来を知り得ないのでそういうスケールに紐づいた根拠を持てるのがフィクションならでだ。そのことがなんか忘れがちになっているような気もする。
善悪の判断が無ければ道徳も無い。加えて歴史的事実の覆しようのなさに従っていると責任も発生しなさそうでもある。パライソを含めた刀剣男子の行動は歴史的事実に根拠を持っていて「そうしないことができない」状況にあったといえる。罪の本質の一部には「そうしないことができたか」の追求がある。意図的にその行動を選んだ自由意志性を認めることで有罪が認められていくものだと私はを理解している。そうすると最初から「そうしないこと」を選択できない刀剣男子には何の責任も求められないように思える。彼らは良くも悪くない。だけれど人命の尊重や人間性の棄損には敏感で、戦争は良くないという非常に道徳的な言動や結論が引き出されている。なんだか変だ。責任は時の政府がケツもちなんでって話かもしれないが、そういえば今作で「時の政府」を口語で聞いたのは珍しい気がする。
そういった道徳的な行動にフォーカスするとむしろ時間遡行軍こそ現代的なヒューマニズムに見えるのも面白い。平和を求めて争いを後退させる取り組みを行っている点、特に本作では民衆に混じる時間遡行軍が描かれていた。この辺が『ドリフターズ』っぽく意外で思考の伸びしろがある。過去を現代の価値観から変に再解釈するべきではない、という歴史学的な視点もここには挟み込めるのかもしれない。審神者ならびに時の政府が善である前提も特には無く、きな臭さは多少ある。
適当に書いたこのあたりを考えすぎだと切り捨てるのは容易なのだけど、2.5次元のフィクションミュージカルの割に重いテーマを描いている理由を考慮するとこういった文章も無駄ではない気がする。キャラクターにあんまり興味が無くてこんな感じで視聴している人間もいます。
あと本当に関係ない話として日本史を振り替えると男が殺したり殺されたりエモがっている場面の連続でしょーもなっ、と思った。女性が出てこないことが作品の性質上当たり前なので疑問にも登らないと思うしそういうジャンルではないのは承知の上で思っちゃうものは思っちゃう。
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要約、本紹介はcopilotを使用。本文は人間が全部書きました。