20251107──心の動きをすべて身体に出す

mtts
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公開:2025/11/8

遅めに寝たので遅めに起きる。でも睡眠スコアは81。ほんとぅ?ゴミを捨てるために外へ。ついでにコンビニ。サンドイッチを食べてコーヒーを淹れる。日記を書いて放流。BGMはかまみく。

シンクにマグカップが並んでいる。テアトル梅田のマグカップがあるのを思い出して箱から出した。映画館のオリジナルマグカップ、誰が使っているのか。これは買ったのではなく、売店で友人がクジを引いて当たったのを貰ったやつ。陶器でなくバンブー素材らしく、何らかの制限があると思うが気にせず使う。

外へ。献血を受けるために平日の電車で移動。時間がちょうどよくてラッシュを回避。

今献血を受けている。何回も受けているのでそろそろ段取りに慣れてきている。とりあえず水を飲む!を実行。自販機で飲料を選べるがたくさん飲むように指示されると氷無しの水が最適解になってしまう。熱々のコーンスープを飲んだり氷たっぷりのアクエリを選べるようになってるのは自由なようで罠だ。自販機の前で連続して水を飲むやつにならざるを得ないのだけど、そんな人が他にいないの不思議だ。これってRTAかもしれない。

右腕から血が抜けている。今日はいつもより針が痛かった気がする。献血中は腕に何も感じないが管がブルブルするときが妙に不快。片腕ふさがった状態で本が読めないのを分かってるのにいつも文庫本を持ち込んでいる気がする。今日もこうやって本を読まずにテキストを書いている。リアルタイムで書くとはこういうこと。

隣席はなぜか二人いて中国人、付き添いの人とよく話しているが日本語が通じないわけでは無さそう。だけど献血ってアクティビティへの決断がどうなされたのか気になる。そもそもあんまり付き添いがいるパターンをみたことないかも。友達に献血行こうぜ!と言えるの良い。明らかにSNSに投稿する感じで写真を撮っていた。

気がつくと献血終わり。「電車ですか?」との問い、「移動手段に電車を使いますか?」の意味であることがわかる。なぜなら母語話者なので。

今回の粗品はチキンソテー用のデミグラスソース……シチューとかじゃないんだ。鶏肉を焼くときに書けるといいソースってちょっとだけ回り道だ。ホットカルピス、味噌汁を飲んで献血終わり。

余裕があるので映画を見る。平日の昼前、なぜか隣席が発生しておりおじさん、あるいはおじいさんが座っておりなんだこいつはと思った。そこで怯んだら負けなのであなたの存在感に怖気ないぞ私は、の強気のオーラを出すようにして存在を脳内で消した。見たのは『ナイトコール』。犬で始まり犬で終わる。面白かった。

ちゃんと1本の映画で語りきっているところが良い。ストーリー的には余白、その後を考える部分はあるのだけど主人公マディに関して不足なくやりきった!という満足感がある。危うそうな職業だなぁ~と思っていると実際にそうなり、雪だるま式に厄介事が増えていく転がり方は愉快かつ妙に親近感もある。

全体を通して「死が人を動かす」ことでつながりがあると思う。物語の背景にBLM運動があり、ちょうどサミーという若者が亡くなったことへのデモが暴動一歩間近までいっている。そこでナチス信奉者であろうサム(サミーと名前を被せているのは意図的だと思う)がマディを駆動させていく。その後に続く人物の死も同じように生き残っていた人に影響するように描かれており、ラストにもそれが響いている。人の死がどんなエフェクトを及ぼすかという描写で一本筋が通っていて、それがより一層語りきった感覚に通じるのだと思う。

クライムサスペンスとしてヒヤッとする場面も思わず笑っちゃうような場面も緩急があってこれは面白い!主人公が鍵屋なので鍵穴を通して何かを見る、光が差し込むシーンの反復も普通にうまい。長編監督デビューらしいがめっちゃ面白い映画だった。

満足して外へ。カメラを持って目当てのカレー屋に行く。セットを頼むつもりが単品を頼みカレーを食べる。金曜のランチしか営業してない店で、ビルの1階の空きスペースで営業してる。普段は心斎橋のバーをやっているらしい。それなりに人が来るっぽくて私の注文でライスがほぼ終わっていたようだった。危ない。カレーは3種あいがけなのだけど、スープカレーもあり、全体的にシャバシャバだ。それでいて普通のライス量で全部が食べ切れてる配分になっていてすごい。辛くて美味しい。

歩いて移動。awaiya booksへ向かう。野田の住宅街の中にある読書特化のカフェ。おしゃべりが基本無理なので集中して本が読める場所。アイスコーヒーとペッパーチーズクッキーを買ったものの食べるタイミングを見失っておみやげとなる。読んだのは『読むだけでグングン頭が良くなる下ネタ大全』。ここでそれを?ってやつをやりたかった。チャンネルの方で話しているネタもすでにあるようだけどちゃんと文筆家の仕事をやってるあたりがしっかりしている。あと装丁とか挿絵も豊富で本として良い感じに仕上がってて意外だった。

友人と合流して近くの文具屋を冷やかす。梅田まで歩く。夕焼けを背にしてダラダラ話しながら歩いた。

阪急百貨店の催事に行く。歌が聞こえるなーと思ったら背中がガバっと出ている歌手の人が歌い上げている。イタリアの催事でマリトッツォを目当てに行くも売り切れていた。テレビ撮影も入っておりその合間を縫ってカンノーロを買った。レジでリコッタとピスタチオのやつ、と頼んだつもりがリコッタとピスタチオを各1本でオーダーが通ってしまいクレジットの返金処理っていう面倒くさいやつを発生させてしまった。反省しながらリコッタ&ピスタチオのカンノーロを食べた。チーズが美味い!喉が渇く!そのまま蕎麦屋へ。衣笠丼を食べた。和食の丼の「無い味」がする。親子丼の肉抜きといえばそれまでだけど。

映画まで時間があったのでダラダラしたりタリーズに入って読書したりして時間を潰す。

『羅小黒戦記2 ぼくらが望む未来』を見た。公開初日のレイトショーだけど満席で、オタクしか無い。我らもオタク。当たり前。

面白いアニメーション映画ってこれだ!!!!!!!とお盆からはみ出るくらいの面白アニメーションが次々とやってくる。そんなに詰め込んで大丈夫ですかってぐらい密度の濃い映像が続くのですごい。でもずっとそればかりってわけでもなく、動きの少なくて間で笑わせるシーンも多く、豊富なキャラクターを存分に動かしてこれ以上ない2作目になっていた。大文字のエンタメ。

物語に関しては前作を踏襲していて、かつ小黒が主人公だけどそこに重きがない感じがする。中庸なというか、善的なメッセージが今作にもあってそれがちゃんと届くと良いなと思う。どうしてもオタクを喜ばせるものばかりなので、その合間にしっかりと描かれているはずのテーマ性までキャッチするのも同じくらい大事だろう。1作目でも感じたけどやっていることはMCUのブラックパンサーみたいなことだ。キルモンガーの政治性と攻撃性に対抗しうる解決策は穏当なもので対立すると分が悪くもなる。前作のフーシーと似たような話をしてるっちゃしている。

そういえば1作目では中国の映画ってことで少数派を取り込むプロパガンダ的な指摘があった気がする。そう見えなくもないがそれを言い出すとありとあらゆるものがプロパガンダ的になってしまいかねない。まあ中国でエンタメを作ると主張してはいけないことの制約は多いだろうし、その目線は持ってもよいが色眼鏡にならないのも必要だなぁと思う。

2作目はどうかというと、政治的な話をかなりしている。なにせ戦争がテーマに関わってくるので不可避なのだけど中心はそこそこボケていたように思う。でもそこがクリアにメインで描かれる映画じゃないのは百も承知なので気にしないけど。

結局何がいいたいのさ?と根本に戻ると言われてることは1作目と同じに思えてきた。副題がまさにそうなっている。現実の社会もそうなるとよいが、願っていてはダメで観客もそれを作る気持ちでいないとな。

圧倒的に楽しい映画なのに違いはない。脳が情報で満たされている観客に紛れて駅に向かう。明日も見るんだよな、この映画。

あと書いておくか微妙なのだけど、隣席の人がリアクションをするタイプの人で動きがうるさいことあるんだって珍しい体験をした。前のめりで見たり息を呑んだり笑ったり小さい拍手をしたりとそれは映画館でやってよいのか微妙なラインであった。それが許されるなら私もリアクションするのだけど多分駄目だと思われる。そしてそういうふうに映画を見る身体になっていないので出来ないだろう。

そうやって全身を体験に没入させていく行為はどうやって可能になるんだろうか。心の動きをすべて身体に出すって難しいというか、大人になるにつれて心身二元論が強化されていく気がする。泣いちゃった(泣いていない)を地で行く感じであって、ほぼすべての映画をノーリアクションで見ている。

どちらが幸福なのかと言われたら隣席の人のように思われる。ある意味で刺激を受けてしっかりと反応し体感している。それは隣りにいる私の視界を部分的に占拠して実現できているわけだけど、その侵害と呼べる幅もかなり小さいまま特定の域に達している。

日付の変わる前に家に着。シャワーを浴びて寝る。