20251105──「いてもうたろか精神」

mtts
·
公開:2025/11/6

6時にパチッと起きた。睡眠スコアは77。100と言って差し支えないと思う。中途覚醒なしで久々にたくさん寝た気がする。睡眠時間は7時間もないが。

跳ね起きてPCを操作する。金曜のレイトショーを予約。二重丸が丸になっていて焦るが無事予約完了。仕事終わりの人間たちがたくさん予約しているようで同じコンテンツを追っかけている連帯感が一瞬生まれて消えた。LINEで予約したスクショを送る。

勢いで昨日の日記を追記する。書き終えてしずかなインターネットに放流する。Blueskyにも張る。タイムラインに流れてきた漫画をつい読んでしまう。ババヤガの夜、みたいな暴力とレズビアンの漫画でぴゃーっと脳内に流し込んだ。おもれ~~~。

腹減った~と声に出して外へ。コンビニでサンドイッチを得る。蒸し鶏と彩野菜のサンドイッチ、カロリーが500kcalぐらいあって健康的でなくない!?と言った。どうりで重たいわけ。

ホットコーヒーを錬成してゆる言語学ラジオを聞きながらチマっと作業。よりすなの感想を書き忘れていたことを思い出して追記。内容にはあんまり触れてない。何かの感想を書く行為は難しい。ながら作業だったり一気通貫で触れていないと感じたことは拡散する。たぶん良いのは体験しながら書くことだ。終わった後でなく最中に感想を書くのがフレッシュかつ分量が多く濃い。けどそんなことやっていられない。ラジオはともかく、映画は無理だな。読書はそれに向いている。

昨夜、寝る前に『随風』の1号を読み終えていた。これも日記に書き忘れた。随筆の雑誌ってあんまりないと思うし、それをやる心意気がたぶんある(ゆる言語学ラジオ的には気骨)。随筆の批評というか、珍しいものがありなおかつ巻頭の文章に向けたものなのでピリッと新鮮だった。おそらく論壇と呼ばれるものがかつてはこういうことをやっていたと思うのだけど、そのシーンを体感したことはない。事後にそういうやりとりがあることを読んで知ることがほとんどだ。その内容、随筆における真実についてはあんまりちゃんと読めてない。宮崎智之、が音声で脳内で響くのは文科系トークラジオLifeの記憶のせいだろう。サイン本を買っていたが、サインって読むの難くね?

David Bryneを聞きながら歩く。日常、道を歩いているが自動車の特権性に配慮している人を見かけるとなんで?と思ってしまう。例えば自分の歩く方向に曲がってくる自動車があると歩行者側がちょっと急いで信号を渡っている。稀によくある、の頻度でなく行われている。おそらく歩行者が自動車側の思考をトレースして「この歩行者おっそ。いてもうたろか」と思っていると思っている、からに違いない。自動車はあまりにもヤバい乗り物で大人の象くらいしか太刀打ちできない。走る鉄の箱(現代に転生した侍の発言あるあるその1)にぶつかると死が近づくので尋常でない人間が運転しているリスクを考慮すれば長生きに繋がる。

まあ普通にマナーとして、配慮として行っていることは理解できる。が全然不要な気がしている。普通に信号が青で渡っているなら堂々と歩けばよいし、それにイラついている輩は手の施しようがないので配慮が勿体ない。

相手がこう思うからこうしよう、といった思考のトレースは性善説や性悪説にも通じると思う。他人に「いてもうたろか精神」を見出す世界観はマッドマックス的だ。もっと最悪なのは自分ならこう思うだろうで「いてもうたろか精神」を他人にゆだねている場合だ。ハンドルを握れば性格が変わる、といった現実にあるようでないキャラクター造詣は存在しているが、ちょっと急いでいる人たちがみな「いてもうたろか精神」を持っていると捉えると末恐ろしい。バチバチだ。

私は普通にそのままの歩行スピードで歩くことが多い。なぜなら特権的な自動車に弱者の歩行者が配慮する意味があまり分からないし、車を運転する側の視点も持っているが、そういう時は「急げ~~~~」などとは思わずに「人間にぶつかると自動車側の過失がヤバい」としか思ってない。運転時間に占めるその短縮時間ってごくわずかだろうし急いで横断歩道渡る義理はない。赤信号や点滅は別として。急がれても嬉しくないしあなたの配慮は宛先が無く消えています。メーラーデーモンの再就職先はここかもしれない。

もっとも嫌なのはみんな急いでいるときに私も急がなくてはならない、といった空気が出る場合。エスカレーターで片方に立つのが正解それ以外はカス、に近いものがあり同調圧力とはこれだ。お前のオールを任せるな。私からオールを奪うな。

仕事終わりに映画『爆弾』を見た。佐藤二朗の正しいキャスティング!が唯一無二なのでそれだけで楽しい。ここまで良くぞ!って演技が2時間フルで詰まっている。それに対応する山田裕貴、染谷将太、渡部篤郎も良い味がでている。警察官と犯人が主体のクライムサスペンスなんだけど、演技の質が良くも悪くも特徴的でそこも他にない手触りになってる。特に警察官の側がぬるっと人間味に溢れている感じがして、ちょっと生っぽい。台詞回しなのか発声なのか。伊藤沙莉も染谷将太も声に特徴がある役者だ。

細かいところの整合性がしっかりとあるわけでもないけれど、あそこまで大きな悪役を描こうとして成功している映画もないと思う。この大きさ、悪が正義の裏返しと同じ構造で大きいのか小さいのかがよく分からなくなってくる感覚も映画内に通底しててテーマ的に面白い。大きくもあるが小さくもある。密室で語られるスズキタゴサクのプロファイリングが的確に見えてどこか的外れで、でもその同期には心当たりがある。という塩梅が演技と相まって良い。

間違いなく悪役of the yaerにこのスズキタゴサクは入るだろう。令和の邦画からちゃんとジョーカーを体現するキャラクターが現れるとは思わなかった。しかも佐藤二朗で。

帰路、雨は降っておらず走ったら良かったの気持ちが多少あり。蕎麦とサラダを食べて栄養不足の気分でカロリーメイトを食べてしまう。オモコロチャンネル、原宿さんが酸っぱさをこらえる瞬間が面白くて見返して笑う。腹筋が動く。

aviutl2を触りつつ、土曜日の映画を予約するために長めに起きる。切り抜きの画面構成、無限にデザインなので正解がなくてしっくり来るポイントを探す。なんか創作行為っぽい。モニターを避けるために読書。

スズキナオ『大阪環状線 降りて歩いて飲んでみる』を読む。知ってる土地の知らん店。飲み屋にほぼいかないのに酒を飲むというハンバーガーのパテ抜きみたいな酒との付き合い方をしていて羨ましくもあるけど今は酒を飲んでも幸福にはならんって態度なのでダメージ少なめ。村上春樹の『ラオスにいったい何があるというんですか? 』を読むとアイスランド編でパフィンのことを書いている。カートゥーン・サルーンの新作って触れ込みでパフィンの映画を見ていて、あれだ~とコネクティングドッツした。調べたらあのアニメはアイルランドなのだけど、映画には人間が出てこないのでその隙間を埋められた気がする。

12時きっかりで予約サイトへ。800人が過ぎ去るのを5分待った後に予約。無事布団へ舞い戻る。