少しだけこの人の気持ちがわかる。分かるといってはおこがましいのだろうけど、ここに記された言葉よりも私の気持ちに近いものを知らない。
同じ戦場で生きた人を見捨てたこと。見捨てられたこと。そのうちのいくつかを腹に収めて笑い、どうしても収まらなかったものは、その人との縁を切るための鋏にした。
私が見捨てた人にすまないと思うのと同じように、私を見捨てた人は私にすまないと思うのだった。生きていたらそういうこともある。気にしないでほしい。私は気負いなくただそう思うだけだが、見捨てた人が私に対してそう思うかは分からないと考えるとき、この視座がわずかに揺らぐ。それでもAさんに許されたくてBさんを許すわけではない。その線引きは大事。
ひとつの絶望にもそれぞれの視座がある。もしかしたら私たちはひとつとして共有できるものを持たないまま何十年という時間を過ごす。だからたまさか共有できるものを見つけたときには、それがどんなに暗く悲しい記憶から来るのだとしても、そこにかすかな光を見いだすのだ。