言葉を紡ぐこと、それはわたしが在り続けるために必要なことだった

mugihos
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毎朝、毎晩窓を開けて外の風を浴びながらわたしは手の届くところにある、あらゆる紙という紙にたくさんの言葉を書き連ねていた。時には怒りであったり、悲しみであったり、喜びであったり。行き先のない想いやどうしようもないもどかしさ。むしゃくしゃして叫びたいとき。自分のすべてを本当に「はきだす」という言葉がピッタリなようにあらゆることをものすごい勢いで書いていた。

誰かに見せるということを考えずに書いていた文章がほとんどだと思う。日々の日記だったりその辺にあるレシートの裏に書いた短い詩や思い付き。自分宛に書く小さなメッセージやノートの端にその時見ていた風景の輪郭を表現してみる。そんな断片みたいな言葉がわたしの書いてきた言葉の大半を占めていた。自分だけが読む文章には幾度となく現れるテーマや同じ単語、わたしにしか理解できない関連性。その瞬間に感じていたことがずっと前の何かと繋がっていることが一瞬でわかるような言葉の並べ方。

自分の中から外へと一方的に見えるその流れは実はどこかでわたしの中にまた新たなきっかけや繋がりとして舞い戻ってきていると感じる瞬間がある。それはずっと前に書いた文章を読み直しているとき。数日前に書いたことがいま目の前にある何かと結びつくとき。頭の片隅に浮遊している言葉や思考はきっと自分がいつかどこかで蒔いた言葉の種で。どうしていま、なのかはわからないけれど気まぐれにやってくる言葉や考えは自分とどこかで必ず繋がっていると思っている。

そんな繋がりを紡ぎ続けるためにわたしはやっぱり書くのかもしれない。

書く、ということについては随分長い間考えたり悩んだりしてきたけれど、自分の中にある変なエゴや見栄みたいなものがどうにも拭えなくてそんな中途半端で不透明な自分の存在が嫌になって書くことが自分にとってどんな意味があるのかさえもわからなくなってぱったり書かなくなった。時間がないからとかいまは集中することが他にあるからとか言い訳はいくらでもあるかもしれないけれどもっと根本的なところで書くことを避けている自分がいることに薄々気づき、そして最近少しずつ向き合い始めた。もっと深くふかく潜って自分にとっての書く意味を見出したいという思いが日に日に増している。良き文章たちをまた読み始めたことも相まっているのかもしれない。家にある本棚を眺め、日々の仕事の中からこれらと繋げることができる何かがないかなと思考を巡らし、いつか研究活動をしてみたいな、なんて空想をしてみたり。わたしの思考がまた少しずつ自分らしくなってきたように思う。

なんかここ数年、いままで変なオートモードみたいな感じで動いていてどうにも深いところから感じられる充実感に欠けていて。それは別に悪いことではないと思うんだけど何かが足りないというのずっとどこかで思い続けてきた。

その答えが見つかったわけではないんだけど、それを探しに行く旅にやっと一歩踏み出せたのかもしれないという感じがしている。

こうしてまた毎日少しでもいいから(いや、逆に少しだけにしよう)書き始め、書き続けたい。

たぶん、わたしはこれを一生やっていくのだと思う。