「いつかは自分も有名になって、まわりからチヤホヤされる人間になりたい」
そう思った青い時代もあった。
と言いたいところだが、これは(恥ずかしながら)齢30を過ぎた良い歳のオッサンが、いまだに思い描く野望である。
本当なら「サインください!と言われたい」と素直に言えばいいものの、さすがは日本人。伏線の伏線、枕詞に保守構文…のてんこ盛り。しかしどうだ、そんなに恥ずかしいことなのか。中学・高校時代の友人は、なんだなんだ、もしかしたら、何も恥ずかしがることはないではないか。
でもやはり、比べてしまう。
中学〜高校時代の友人は「特に」そういう傾向があり、事実、周りを見渡すと本当にすごいから余計である。
つらつらとキリがないが、芸能界で活躍する俳優・女優・タレント・モデル、起業して多くの従業員を抱えて頑張る社長、医歯薬さまざまな開業医、自分のサロンを持った美容師、大企業のトップ営業マン、親の会社を引き継ぐ準備をはじめた専務。それと、アーティストもいたな。ひとたび思い起こしただけでこの状況、母校はさぞかし有頂天だろう。
とどのつまり、みんな、頑張っている。
では、自分はどうなのか。本当に「頑張っている」と言えるのだろうか。自信を持って「やり切った」と言える毎日だろうか。
ハタから見れば「すごい。頑張ってる。さすがだ」のような玉虫色の輝きを放つ言葉の羅列をしてくれる友人・知人も少なくないだろう。
でもそれは、人と違った道を選択しただけの話だったり、属人性の高い仕事をしていることが所以だったり、(聞こえの良い)クリエイティブな業界特性だったりと、言わば『隣の芝生は青い』理論が展開されるからであって、特に特別なことをしているわけではない。
元ライブドア・堀江貴文社長は、毎日18時には仕事を終えるらしい。残業はしない。でも、その代わりに、勤務時間中は常に圧倒的な集中力で仕事をこなす。だから、終業時にはヘトヘトでHPは0に近いほどにカロリーを消費しているのだとか。彼は、頑張っている感覚はないだろうが、やり切った感覚は毎日、成功体験として蓄積していた(している)のだと思う。
ここで、話を戻そう。
僕は今でもこう思っている。
「いつか、あの女優の友達を自分の作品で使うんだ。そして現場を共にした者同士、昔々の他愛もない青春をアテにしながら、熱燗で鳳凰美田でも啜るのさ」
たぶん、これが夢が叶う瞬間で、僕の人生のピークだと胸を張れる出来事になる気がする。いや、確実に、人生のハイライトになるだろう。
これを踏まえて、自分に問う。お前は、堀江貴文ほどの努力をしているか。そうでなくとも、毎日をやり切っているか。本気で夢を掴みに行こうという覚悟は、そこにあるか。
思い描いた活躍を、する準備はできているのか。