待ってる時間は、自覚が芽生える時間。
未熟なりにも、こう思う。
本当に父親を実感するのは、娘が大人になり、親元から巣立っていく時だと。では、最初の実感は何だったか?と聞かれたら、僕はこう答えるだろう。
「命名書に筆を入れた時」
確かに、産まれた時は感動して涙したし、毎日アプリに上がる娘の写真や動画を見て、胸が締め付けられるような喜びを噛み締めた。でも、それは父親としての自覚ではなく、人間としての恍惚、最大の歓喜にすぎない。一生愛すると決めた人が苦しみに耐え、乗り越え、自分よりも大切な宝物を産み落としてくれた。この事実における無力からの解放、安堵にすぎない。
退院を待つ5日間、やることは絶えない。仕事をしながら家事をするという前提を除いても、器具の組み上げ、用具の除菌にはじまり、細かいところではメリー用ボタン電池の購入など、粒度の細かいタスクリストが無数に存在する。
自宅の家具を動かし、レイアウトも大幅に変更した。新生児を迎えるというビッグイベントは、人生の中心軸をまるっきり変えるということ。つまり、家族全員分の生活環境を見直すことに等しい。この大役を一人で全うするわけだから、骨が折れる。これが、父親としての最初の仕事かもしれない。
このタスクリストを全て消化した時、何かが昇華した。僕の場合、最後のタスクが命名書だったこともあるが、娘の名前を筆で走らせた時、迎える意味を理解した。
「人生かけて、人生をつくっていこう。」
そう、心に誓った。