今朝は4時過ぎに一度目が覚めてしまった。そこから本棚をぼーっと眺めて、はじめて自分で買った本である『自選 谷川俊太郎詩集』を取り出して、ページも開かないのに突き上げるままに泣いた。ひとはいなくなる、それでも何かは残る、ほんとうにはいなくならない。それを分かっていても涙は出る。自分が思っているよりも、芯のほうで動揺しているようだ。物心ついたときには谷川俊太郎の詩があったし、歌うようになってからは口癖のように「谷川俊太郎が好き」と言い続けてきた。誰に訊かれても、同じように、まっすぐに。この世界のポエジーというものを教えてくれた、ひとりの詩人を通した詩そのものに敬愛の念を抱いていた。なぜこんなに世界はうつくしいのだろう。なぜこんなにひとはうつくしいのだろう。なぜことばは、なぜ詩は、こんなふうにうつくしさに触れられるのだろう。なぜ、なぜ、なぜ……。いろんな「なぜ」をぽんと、何気ないふうに目の前に置いて、かつ一緒にいてくれたのはかれの詩だった。こんなにもわたしがこの世界を愛しているのは詩のおかげだ、と言ってしまえるくらいに、わたしは、わたしは詩が好きだった。つらくて何も読めなくなったとき、どこからでも読んでいいよと待っていてくれたのは詩だった。かれの訃報に何も言えない、何も言いたくないと思っていたのに、こんなことが書けてしまう。ただ感じ入るだけでよかったのに。これを書いている帰りの電車でぼろぼろ泣いている。鼻水まで出てくる。マフラーに涙のしずくが光り出す。こんなに泣いてしまうなんて思わなかった。ただ親しんでいたという以上のものがあった。わたしはきっと詩に、すべてに通ずる愛を見出している。
本棚の前でしばし泣いて、おなかがすいたのでゆかりごはんを食べて、歯を磨いてまた眠った。悲しいとき、寂しいときにもおなかがすくこのからだは、めっぽうよくできている。朝の5時はまだ夜の続きみたいだった。
また数時間眠り、起きたら8時半だった。あたたかい毛布をはがして一日をはじめる。朝方起きて泣いた時間は、まるであいまいな夢みたいだった。昨日買ってきたあたらしい豆を開けて、挽いて、大きなマグカップにコーヒーを淹れてごくごく飲んだ。おともはPOM POM CAKESのレモンケーキ。中にレモンピールも入っていてうれしい。ここのお菓子は食感が特徴的だ、弾力がある。おいしくぺろりと食べてしまった。
今日は寒い雨の日。レインブーツに合わせてアイボリーとホワイトでまとめ、小物をブラックにする。コートを着てマフラーを巻いたが、外に出てみたら耐え切れないほど寒かった。なんとなくタイツを穿かなかったのが失敗。急な冷え込み、こわい。もうセーターを着てもこもこにならないといけないのか。
はやく編み物の続きをしたくて、アイロン用のまち針を買いに行った。ユザワヤってあかるい場所だ。ついでにたくさん置いてある色とりどりの毛糸を見る。もっと編んで編んで、編み物が上手くなってきたら、高い毛糸も買おうかなあ。帰ったらスチームアイロンかけて、続きを編みます。
仕事場に着いたらもう13時だった。少しだけ仕事して、もうあとは何もやる気にならず、お弁当を食べて、紅茶を飲んで、本を読んだ。よしもとばなな『アナザー・ワールド 王国その4』を読み終えた。最後の場面が天草で終わったのがなんだかうれしい。また来年、天草に行くぞ。暖房をつけても仕事部屋が寒く、マフラーを巻いて過ごしていた。最後はパソコンでぱちぱちと昨日の分の日記を書いた。SNSで書いてしまうのが「昔された嫌なこと」ばかりで、調子がおかしい。ここ数日で心身の調子が比較的よくなったからこそ、釣り合いを取るように、今のつらさの代わりに昔のつらさを取り出しているみたいだった。復調してきたからこその谷間だと分かる。こういう感じのときにはすぐに思い切り泣いておかないと、と過去の経験に裏打ちされた直観がすばやい計算をする。
帰りの電車では、上に書いたように谷川俊太郎のことを思って筆が動いてしまい、ぼろぼろ泣いた。帰ってからお風呂で思い切り泣こうと思っていたのに。からだはもっと正直で、待てなくて、望んだように泣いてしまう。電車の座席にヒーターがついていて、あたたかかった。冬だ。
ジョン・バディステ『Beethoven Blues』がとても良かった。
おなかがすいてきた。夜ごはんはじゃがいもとツナのトマト煮込みの予定です。簡単に食べて、ゆっくりお湯に浸かろう。