昨日の日記を読み返していて、食べたもののことをたくさん書いていたのに、自分以外の人が頼んだもののことを一言も書いていないことに気づいて、びっくりした。自分の記憶の残り方、やばい……。自分が食べたくて食べたもののことしか覚えてなかった。昨日書いたものの他に、アスパラガスのポタージュと、鯖のバインミーも食べたよ。冷製ポタージュはやさしい無駄のない味だったし、バインミーの焼いた鯖は酸味が丸くて身もふっくらとやわらかくて、とても良かった。全体的に、海鮮のあのふっくらさって他ではあまり食べたことないかも。すごかったな。
朝起きたら、母が「屋根から落ちそうになって手をついた」という話をしてきた。左手首がぱんぱんに腫れていた。ちょっと、言ってよ!深夜0時半に帰ってきたわたしもあれだけど、日常に支障が出る怪我は連絡入れといてほしい。朝からびっくりしちゃった。昨日のお昼に怪我したのに病院に行っていなかったので、それは行ったほうがいいよと勧めた。いつも母は病院に行きたがらないので、「腫れているし絶対折れてるでしょ、さすがに昔の人でも布を巻いたり枝で固定してたと思うよ……」と説得した。一度診てもらうということに決めたら、「ついでに血液検査もしてくる!」と言っていた。
母は一日無事に過ごせるのかしら…… と心配しつつ家を出た。
今日は年に一度の総会で、いつも遅刻しているよりよほど急いで仕事場に向かった。荷物を持って会場へ行き、準備をして、ばたばたとしていたらあっという間に終わりました。
「お昼食べてないでしょ」とまい泉のカツサンドを差し入れてもらったが結局食べられず、帰りに公園のベンチで食べた。ヴィーガンですと明言していないと、こういうことが起こります。これは別に良くないことなのだけど、お肉がメインのものを食べるときだけ、しみじみと(畜産……)と想いを馳せる時間が発生する。お魚に対しても感じるべきなのだけど、まだ勉強不足です。
昨日よく眠れなかったので、帰り道でどっと疲れが出た。
仕事が終わってから母に連絡したら、骨折で全治3ヶ月だったらしい。やはり。わたしもなるだけやるべきことをやらないと、と気を引き締めた。いつも時間に融通のきく母にいろいろやってもらってしまっている。
帰ってきたら母がギプスをつけて腕を吊っていた。めちゃくちゃ「骨が折れたひと」だ!
夕飯を食べて、眠くてベッドでごろごろした。恋人との電話を待つ間、目が開かなくて何にもできなかった。もっといい時間にしたかったのに。
恋人と電話して、子どもがいる生活について話すところから、それと自分のキャリアや時間について考えるかどうかはジェンダーによって差があるよねという話をした。とりわけ女性(と社会からみなされる)ジェンダーには、子どもと生活するにあたって自分の仕事をどう調整するかを考えろという圧力がどうしてもかかる。「自動的にキャリアを捨てる道が敷かれるよね」と恋人が言ったので、「マミートラックね」と返したら、「あ、もう言葉があるんだ」と言っていた。育児だけでなく、病気や介護など、いわゆる週5・8時間以上の正社員の働き方ができない状況に置かれるリスクは、誰にでもある。そのリスクは誰にでも同じように等しくあるわけではなくて、妊娠・出産・育児が発生する可能性がある以上、そういう状況に置かれやすい可能性は女性ジェンダーに偏在しているといえる。そこに充分な保障がないとどういう心境になるか。誰に、何に頼ればいいのか。そういうことを、きっと女性ジェンダーをやっているひとはよく考えるし、不安もありありと浮かんでくる。そして、そういうときいちばんに頼る先とされるのは、現行の社会では「恋愛的・性的に親密な男性」なんだよね。もっといろんなものが自分を助けてくれる、支えてくれるとは、とても信じられない。ケアする人をケアする制度や人が、さまざまにあればいいのに、と思う。それなら、異性間パートナーシップをやっていても、こんな気持ちになることないのにな。
子どもがいる生活を「きっと楽しいだろうなあ」と思うところは二人とも同じだけれど、「自分のキャリアが断絶するかどうか」「働き方がどう変わるか」「仕事を辞めなくてはいけないか」を、男性というジェンダーをやっているパートナーはありありと考えたことがない、と言っていた。女性ジェンダーをやっていると、仕事をする際にはかならず「子どもがいる生活に移行した場合、どうするか」を考えることになる。男性ジェンダーが考慮に入れなくていい一方で、女性ジェンダーはいつも「産むか、産まないか」という選択を、状況に鑑みて更新し続けている。まさに、"Who cares?" である。
そういう構造的なケアの偏在によって、ケアワークが経済的な価値を生まずに貶められてきたこと、ケアが必要な人をケアする人が脆弱な立場に置かれてしまうことを思う。同じ物事について考えるとき、立場によって、ケアがより多く要請される人と、より少ないかあるいはほとんど要請されない人がいる。その偏りについて話しておくことは、大いに必要だと感じる。
こういう議論をすること、考えていることを二人の間に持ち込むこと、わたしはかなり好きで、内容が重くてもどういうトーンで話していても、内心めちゃくちゃ楽しんでいる。
眠くなって、電話を繋いだまま寝た。