2024.8.18

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相変わらず5時半に目が覚め、ベッドでだらだらしてからシャワーを浴び、身支度を整え、朝ごはんを食べて、洗濯物を干してから、またベッドでうとうとした。近所の洋菓子屋さんでケーキを食べようかと思ったが、出発まで時間がなく、また眠気がすごかったのでやめた。アイスブルーのTシャツにコットンのボトムを合わせて、ベトナムのぽんぽんのかばんを持って、バインミーを食べに行った。

お会いするのは2回めの友人と落ち合い、日傘を差しながら目当てのポップアップへ向かう。KAISOさんのパンとバインミー!ずっと行ってみたかったパン屋さんなので、ポップアップのお知らせが気になっていたのだ。友人がそのポップアップに言及しているのを見て、日曜日はここへ行きましょうとすんなり決まった。

列ができており、おおっ、同じようなことを考えて来ている人々が…… となった。並んでいる途中、kasikiのローズマリークッキーをいただき、わたしは寅の子すて〜しょんのZINEをお貸しするという物々交換が発生。いざ注文したパンがおんなじでうふふとなった。茹でないベーグルみたいなパン(名前忘れた)、ズッキーニのパン(これも名前忘れた)、それからバインミーは店内で食べた。

机の上に、紙に包まれたバインミーと、赤い飲み物が乗っている。

バゲットがもちもちみっしりで食べ応えがあった。話しながら食べようとしたのだが、喋れないので噛み締めることを優先する時間があった。にんじんの甘みと時々のナッツやパクチーがおいしい。スパイシーな感じではなく、調和した味や食感の中にあらわれるアクセントをたのしく味わった。一緒に頼んだ赤紫蘇と桃のソーダも美味しかったし、謎の葉っぱが刺さっていて良かった。

場所を移動して、ホットのアールグレイをポットサービスで飲みつつ(香りがよくて美味しかった!こういうアールグレイがいいのよ)、またまたたくさん話した。縦横無尽に話せるのがとても嬉しい。ずっと聞きたいと思っていた事実婚についても話題にすることができた。友人相手だと、なんでこんなに話すことが次から次へと出てくるんだろう。わたしは友人基準のこの経験の積み重ねで、「コンスタントに話す機会がないほうが、話題がある」「毎日話してしまったら話題がなくなる」と思っているのかもしれない。どんな話も、政治の話だって、パートナーとだってできないわけじゃない。むしろこちらに水を向けてくれるのに、なぜパートナーとは「存分に話していない」感じがして、友人たちとは、「話した」という満足が深いのだろうか。会話の分析でもしてみたいな。

先日の熊本滞在中、酔った勢いで「毎日一緒にいたら話すことがなくなりそうで怖い」とパートナーに伝えてしまった。話題の提示というかたちで、あなたに自己開示をしてほしい、かつわたしに対して興味を持ち気にかけてほしい、みたいなことを(酔っていたのでもっと浅慮な良くない言い方で)言ってしまい、伝えたこと自体良くなかったとはいえ、それはずっとくすぶり続けている怖さでもある。逐一すべてを報告してほしいわけではないが、「こういうことがあった」「何をした」と自分の状況や行動についてコンスタントに話すことが、手を振るように、肩を叩くように、「ねえ」と声をかけるように(つまりそれらの行為は、接続以前、宛先の存在を認識し、コミュニケーションを図りたいという意思表示のアクションである)「あなたの存在を認識しています」というメタメッセージを送るという意味合いのコミットメントであると考えている。また、コミュニケーションにおいて、「わたしはこう。あなたはどう?」というふうに、自己開示を基盤として相手のことを聞くのがわたしのやり方であるから、自己開示すなわち相手への興味、と捉えている節もあるのかも。エピソードトークとそれに対する感情や受け止め方をワンセットとしてやりとりしている友人たちとの会話を基準にしてしまうと、どうしてもパートナーとの会話には差異がある。うーん、この差異は、「わたしはこういう人間なのですが……」という前提部分がパートナーとの間ではハイコンテクストゾーンに移行しており、いちいち言及しないから、というのもありそうだな。長期に渡って話し合う必要のあるプロジェクトをいつも据えておかないと落ち着かない、というくらいには、いつもパートナーとの間に議題を欲している。

そのあとはSPBSをぐるっと一緒に回りながら、読んだ本や、読みたい本の話をした。本屋でこうやって背表紙を見ながら話すのって大好き。読みたい本ってたくさんたくさんあるなあ。今日のところは決めきれず何も買わなかった(家に文字通りに積んである本たちの存在がのしかかってくるのだ)が、opnnerさんのブックマークを購入。これでぐいぐい本を読みます。

解散してからスニーカーを試着しに行った。HOKA ONE ONEはかなり履きやすくしっくりくるものがあったが、きゅんとしたわけではない…… となって保留。あたらしいsuzuki takayukiのワイドパンツに合って、なおかつたくさん歩いても疲れないスニーカーを探す道のりは、まだまだ長い。おすすめあったら教えてください。

また別の友人と話したくなって、連絡して日程調整をした結果、帰宅してすぐに話すことになった。最近会っていないし話していないなあ、となったので、時間をともにできて嬉しかった。いつだってわたしは核心にぐいっと踏み込むことができないが、ただ他愛もない話をすることでほぐれるものもある…… といいな、と思う。

そのあとはパートナーと電話した。先週まで一緒に生活していたのがそうではなくなって寂しかった、と言っていた。わたしは別れ際にほろりと泣いておいたのでその後寂しさの波はやってこなかったのだが、泣いておかなかった(?)パートナーのほうが余韻が引き続いているのかもしれない。寂しさの原因はわたしとの別離だけではなく、友人や知り合いのほとんどいない土地で暮らすことは想像以上の寂しさを抱えうるのだと思う(もしあのときわたしも熊本に移動していたら、どうだっただろうか)。熊本でも友人や知り合いができるといいね、と思っている。