今日って6月5日らしい。めずらしく日付感覚のない日だった。何も予定がないからかしらん。
水曜日なので、昨日泊まっていった妹がいる。朝ごはんがなかったので、「パンでも買ってくれば?」と朝食を食べない母に言われたが、妹は妊娠しており、母も骨折しているので、わたしがコンビニへ走る流れになった。パジャマのまま自転車でコンビニへ行き、食パンを買う。なんとも横着である。パジャマのまま近所へ出かけることもそうだが、日々の買い物を済ませておかないところが……。いつもはなければないで食べない(母もわたしもそういうところがとてもよく似ている)ので、妹がいるときにだけちゃんとすることになる。
妹も飲めるように、ネトルやエルダーフラワー、ダンデライオンルートなど、妊娠初期・中期でも飲めるハーブをブレンドしてハーブティーを淹れた。トーストにあんこと、カルピスバターをナイフでとってかたまりのままのせる。あんバターっていつから流行り出したのか覚えていない(もともとあんこが嫌いだったのもある)が、すっかりこうして家庭でも食べる組み合わせになった。やっぱりバターはひんやりつめたいかたまりのままのせて、しょっぱい・甘いがある程度分離していたほうが好みだ。おなかがすいていたので、2枚めはカマンベールチーズに胡椒を振って食べた。食後のコーヒーも飲みたくなり、デカフェをコーヒーメーカーで淹れる。ひさしぶりに朝ごはんと呼べるものを食べたような気がした。
30分遅れで仕事場に到着。28℃だったので日傘を差してきて、アイスでも食べたいな…… と歩いてきた。そろそろ暑くなってきたな、と冷房を入れる。今日はやることもやる気もなかったので、市民運動のやりとりをしつつ、ひたすらのんびりした。
市民運動のメーリングリストづくりをしていると、Googleアカウントの容量が気になったので、ふとGoogleフォトを開いた。2018年ごろから2022年ごろまでの写真があった。よく見もせず、どんどん消した。何より大きかったのは、デートDV加害者の写真や、DVを受けながら生活していた頃の写真を、全部消せたこと。ここにあったんだ、まあそりゃあるか……(過去を振り返らないし、あったことはあったことなので、特段消しもせず、そのままにしていた。振り返るのも怖いもんね)。特にどれを残すかもそんなに考えず、満足いくところまで消して(ほとんど消した)、すっきりした気持ちになった。愛する友人がわたしの人生と写真フォルダに登場してからは、写真を見ていても大丈夫になった。きっと、その友人の存在が、現在のわたしと繋がっているから。DVの被害経験というものは、日常どころかわたしの人生とは断絶している。理解しがたいし、認めたくない。トラウマって、たぶんそういうものなんだと思う(「環状島」概念を提唱した宮地尚子をはやく読みたい)。「わたし」につながっているものと、断絶しているもの。写真をざーっと眺めながら、そして消しながら、その境界があまりにぴたりとしていることに、われながらおどろいた。
空腹で何もできなくなってきたので、いつものお蕎麦屋さんへ行って、ひやかけのめかぶ蕎麦を食べてきた。思ったよりいいペースで季節限定のメニューやトッピングが出てくれる。ありがたい。

もりもりのめかぶに、きざみ海苔、ねぎ、練り梅。ねばねばのめかぶに梅のアクセントがうれしく、すっきりと食べた。いつもと違う風味を欲していたので、めかぶがちょうどよかった。
帰り道、「今日はブルーを着ている人がいっぱいいるな……」と気づいた。夏なのかも。
今日はわりと「何もしたくない……」に襲われていた。ああいうときの何もしたくなさってすごい。ほんとうに何もしたくなかった。楽しいことや、必要なこともしたくない。
しかしさすがに本でも読むか、と勢いがつき、高島鈴『布団の中から蜂起せよ』を読み終えた。自分に引きつけながら頷いたり、反省したりした。行動偏重の「運動」に対抗したい気持ち、「できない」ことをそのまま受け入れること、そういうものをわたしもすごく大事にしてきたはずなのに、最近はマッチョイズムに引き寄せられていたのかもしれないなあ、と我が身を振り返った。生存は抵抗だ。
めずらしく退勤時間までいて、えらかった。ずっと目がしょぼしょぼする。帰ったら本読んで寝ます。
あと書き忘れていましたが、6月2日に荻上チキ『もう一人、誰かを好きになったとき ポリアモリーのリアル』を読み終えています。わたしには(恋愛・性愛に限らない)複数愛傾向があり、ポリアモリーという関係様式を実践してみたいと思っている(ここまで、パートナーにも話してある)ので、ずっと気になっていた。ポリアモリーウィークの講義動画でだいたいの概要や理論的枠組み、用語などは知っていたのだが、書籍では具体的な体験談が多く掲載されていて、隣人としてのポリーを多層的に描き出していた。そして、この社会(で生きるわたしたち)が規範としている単数愛(モノアモリー)や単婚制度(モノガミー)を再考するきっかけにもなる。それらがこの社会において「道徳的」とされていることから逃れられはしないが、その中でもそれを違うかたちに組み替えて実践し、揺れ動くポリーたち。葛藤も含めてさまざまな声が拾われている、いい書籍だった。個人的には、ポリアモリーウィークの講義にもあった、ブレイク『最小の結婚』が提示するケア関係をベースにした保障(それは、恋愛や性愛どころか、「情」すら含まないケア関係をも包括するので、よりプラクティカルであると思う)がいいなと思っている人間だけれど、それはそれとしてわたしの場合は「好きな人たち」が大勢いるので、ポリアモリーの実践も大いに参考になるはず。「パートナー」関係がニコイチなのは少なすぎると常々感じているので、将来的に恋愛・性愛をどうするかは別として「パートナーシップ」自体は複数人でやりたいな、と思っている。それもう「パートナー partner」じゃないけど。
そろそろ来月の大阪旅行や、夏休みのことを考えなくては、とパートナーとやりとりした。ゆっくり話したいなあ。
最寄駅に着いて歩いていたら、つばめが3羽、ついついと空を飛ぶのを見かけた。
ドラッグストアのポイントデーは週末だが、もうシャンプーとコンディショナーを買ってしまう。帰りにドラッグストアに寄るのも一苦労(気持ち的に)の生活。貯めたポイントとクーポンで割引して買った。