夜中にサイレンの音で目が覚めたが、また眠って起きた。昨日の眠気が異常に強かったので、ぐっすり眠ってえらかった。
最近はグリーンクレイペーストの頻度を落としているのだがひさびさにやって、朝から湯船に浸かった。背中の肌荒れは、少しずつではあるが落ち着いてきた。
夜は以前の職場である議員事務所の会議と懇親会があるので、メイクをした。コットンのパンツにTシャツを合わせて、らくちんな格好。
狭山の和紅茶を母と飲みつつおしゃべり。ここ最近はもっぱらパートナーとの関係の話をする。紅茶の茶葉、仕事場用に買わないとなあ、と心に留めておく。
食器を洗い、雨が降っているので洗濯物を部屋干しにして、タイマーをかけて除湿を付けた。洗濯物を干しながら、最近の「寅の子すて〜しょん」をスピーカーで流して聞き、そのまま出勤中にも聴く。
やっぱり寅すてで二人がしているやりとりの形式、つまり相手の話の受け止め方/自分の解釈の提示の仕方、の塩梅がちょうどよく、すごいなあ、と思う。人生を垣間見せてくれてありがとうの気持ち。
寅すてのDiscordサーバーを開き、こなものちゃんの日記ポストを読む。文章も出来事も受け止め方も、すべてが好きすぎる…… もっと書いて!読ませて!になってしまう。ひとの日記を読むのが好きという気持ち、そのひとに関心を持つのと似ているので心地いい。もちろんそれがすべてではない、ということは分かりつつ。
寅すて最新エピソードを聴き終わってしまったので、こんどは真剣に音楽を聴こうということで、チェックしているアーティストの新譜を「次に再生」リストに追加して聴いている。
Nilüfer Yanya「Call It Love」
Kelly Lee Owens「Love You Got」
セルフタイトルの『Sam Wilkes, Craig Weinrib, Dylan Day』はどの曲も素晴らしい。
Fabiano do Nascimento、Daniel Santiago、Jennifer Souza『Do Interior』も最高。
そのままFabiano fo Nascimentoの未聴アルバムを聴く。
Fabiano do Nascimento『Lendas』は弦楽器とのコラボレーション。
Fabiano do Nascimento『Rio Bonito』は湿度と熱情を感じる。
Fabiano do Nascimento『Prelúdio』は色気がある。
月曜日のライブで彼の音楽に陶酔してからというもの、フィジカル(LPがあれば欲しい、再生機ないが)が欲しくなっているし、スピーカーも欲しい。
なんだかものすごくお腹が空いたので、えいっとエリックサウスへ。ランチは500円程度を目安に決めているため、こんなに高いランチを仕事の日に一人で食べたことがない。しかし最近かなりバテていて食欲がないため、せっかくのしっかりした空腹のチャンスを不意にしたくなかった。スパイスパワーで、最近の身体の不調を吹き飛ばす心づもり。ランチミールスとホットチャイを頼んで、お腹いっぱい食べた。

サンバル、ラッサム、芽キャベツを炒めたもの、ダル、ヨーグルト、バスマティライスとターメリックライス、パパド。かなり量があるが、さらにバスマティライスをおかわりしました。食後のチャイが隣の人に運ばれてしまい、「あ……」と思っていたら、隣の人が「頼みましたか?」とわざわざ回してくださって、ありがたかった。カレー屋あるあるだが、御多分に洩れずエリックサウスもドリンクが安い。ホットチャイ150円に毎回目がくらんでしまう(ま、まぶしいっ……!)。いつか他のものも飲みたいが、なかなか来ないのでどうかしら。
エリックサウスに行く前にも実は寄ったのだが、帰りにもまたSPBSへ立ち寄る。虎ノ門にあるのは知っていたが、こちらの店舗に来るのは初めて。お店入り口のいちばん人通りが多いところに陳列されている書籍の面々がものすごい。なんと、わたしが好きそうな本しかないのだ。オフィスビルの中でこの(この、というのは、会社員としてはたらくことに心底なじめないわたしが称揚するような、という意味)思想を保ち、また示しているのがすばらしくて、おおっと感動してしまった。すごかった。うっかり20冊買ってしまいそう。
オフィスに勤める人たちもこのタイトルやあの本を目に入れるんだ…… という思いに圧倒されながら、棚を眺めた。もちろんわたしが職場の近くに求めていたのは、こういう「欲しい本がたくさんある」本屋さんなのだけど、いざオフィスビルの中にそれが入っていると、どうにも面食らってしまう。いつもは休日のテンションで行っているところが、平日までぐわっと踏み込んできた感じ。仕事終わりのご褒美ではなく、息抜きにいつでも行ける立地が、逆になんだか怖かった。わたしが「遠いなあ」と思っている、ランチタイムには名札を裏にして財布だけ持って出かけるような(何が言いたいかというと、会社員生活をまるきり楽しんでおり、満足しているように見えるということです)オフィスに勤める人々も、もしかしたらわたしと同じように本屋さんの品揃えに興奮して、うっかり20冊買っているかもしれないのだ。言いようのないぞわっとした感覚に襲われる。自身が社会の周縁で生きていると自覚しているからこそ、中央にいる人が同じ本を読んでいるかもしれない、ということをどう受け止めればよいのか分からない。いやもちろん、社会的権力を持ち、中心にいる人々にこそ、ごくあたりまえにSPBSの本棚に差し込まれた反差別や社会課題についての本を読んでいてほしいが……。都会のど真ん中でアウェイだと思っていた場所にセーファースペースがあると、期待していないだけに、率直にびびってしまう。「こういうところにも、わたしと同じような人がいるかも!」という、ポジティブな意味合いでの想像の共同体の形成には、まったく寄与しなかった。「ほんとに……?」と斜に構えてしまう。
ほしい本ばかりがあることに戸惑いをおぼえながらも、よくできた棚をめぐり、「こんなに好きな品揃えの本屋が近くにあるなら、ランチを我慢して2〜3日に一冊本を買いたい」になってしまった。ひとめぐりしたのち、どうしても栄養としての本が欲しくなり、吉本ばななが帯文を寄せていた『平熱のまま、この世界に熱狂したい』を購入。

着ている服と同じ色合いのものを無意識に買っていることがよくある。
それにしても買いたい本全部あるんじゃないか?くらいあった。うっとりとため息。全部買わせてくれ……。まったくノーマークの本を買ってしまいました。ほしい本って永遠になくならない。本読みたい。本買いたい。うわーん。
今のわたしに必要なのって、図書館でぐわーっと本をかき集めてきて、一心不乱に読みまくる、そんな時間だ。図書館って冷房がキンキンで、身体が冷えるんだよね。夏といえば、図書館に一日中いること。さっそく再来週やろう。
帰ってきて、「仕事したくないよー」になっていたが、進捗確認メールをもらったおかげで、ちゃんと仕事ができた。3〜4時間ぐわーっとやった。またこのやり方ですよ……。まあいいです。よくがんばった。
仕事中、パートナーのマブが出した曲を聴いていた。ソロのプロジェクトを始めたらしい。
nozakimugai「ねえ、あなたは一体どこへ行ってしまったの?」
めちゃくちゃ好みだった。音がシンプルな分、すっきりとした声が通っていて、その音色や質感が際立っている。今までの曲でいちばん好きかも。リピートしまくった。こういう落ち着いた曲で揺れるように踊るのが好き。
nozakimugaiくんはずっと身体性にこだわっていて、わたしはそこにシンパシーを感じているので、機会があったら曲を作るにあたってどんなことを考えたのか聞いてみたいな。身体性というテーマ、数年間真ん中に据えて生きてきたのだが、最近はめっきりで、今改めて書こうとしたら「身体性ってつまり何だっけ?」となってしまった。びっくり。調べて「ああそうだった」となった。あぶないあぶない。わたしのふんわりした定義としては、身体性とは「他でもないこの存在」にある現象が立ち現れるときのさま、とでも言っておこうかしら。え、伝わるかなこんなんで……。
時間通りに退勤。このあとは以前働いていた議員事務所でチーム会議がある。懇親会も、とのことで、みなさんがお酒やおつまみを持ち寄るらしいので、わたしも何か持って行かなきゃと虎ノ門ヒルズを物色。お酒を飲むならしょっぱいものがいいかな、と、数軒見てゴルゴン&カシューナッツチーズクッキー30枚入り2980円にした。(たっけー!1枚100円じゃん!)と思ったが、働いていたときはお世話になりっぱなしでそりゃあもういろいろいただいてきたので、そんなことはおくびにも出さずに持っていきます。
普段は行かない改札の向こう側、いろんなお店があって、パンやスコーン、ジャム、タルト、ケーキが揃っていた。ここに勤めて半年で、初めて来たエリアという。どれだけ新奇性探求がないんだ…… と自分に愕然とした。
少し遅れて会議に到着して、最近の自治体の議会で起こったことを聞いた。会議とは名ばかりでほぼ報告会でしたが、まあよし。その後の懇親会では、泡とビールとジンを飲み、持ち寄ったサラダやおかず、おやつを食べて、和やかに話していたら23時近くになっていた。持って行ったクッキーをみんながおいしいおいしいと食べてくれ、嬉しかった。以前一緒に仕事をしていたスタッフさんとはなんと半年ぶりで(仕事を辞めて以来、ちょうど参加する機会がすれ違っていた)、会えて本当に本当に嬉しかった。やっぱりここの人たちのこと大好き!小雨の中駅まで歩いて、またゆっくりお茶でもしたいですね、集まりましょう、と言い合った。最近は都知事選や国政のことをやる他の市民運動で集ってばかりだったが、このチームの人たちともたくさん話したいし、ごはんに行きたいな。市民運動の何が楽しいかって、会議の後みんなでごはんに行くことだから……。
この歳で地域で市民運動をやっているのってたぶんすごくめずらしくて、それはわたしにとってはなぜか居心地が良かったから居続けているということが大きいのだけど、同年代ならもっと違うコミュニティにいて違う活動をやっているんだろうなあ。そういう方向を考えてみてもいいな、とやっと思いはじめた。議員という仕事や存在から離れてみて、すこし遠くなったからこそ、地域から離れたところで何かやってみたくやってきたのかも。そろそろ引っ越しもするしね。
帰り道、心地よく酔ったのでめずらしく友人にLINEして、会えるの楽しみだねという話をした。友人のことが大好きという気持ちを、連絡するという手段で表現すること、酔っているときにしかやらないのってあんまりよくないな。酔ってなくてもするべき。能動的にkeep in touchするのがかなり苦手で、「あなたを気にかけています、関心を持っています」というかたちのラブを配り歩けない。相手のことを気に留めたり、自分のことを話したりを、臆さずにいつだってしてもいい、と思えるには、わたしには契約が必要なのだと思う。それはかなり悲しいことだし、自分の体力のなさが不甲斐ない。もっと友人たちのことを気にかけたいし、こんなことしたよって毎日連絡したいし、大好きだよ愛してるよってたくさん言いたいのに、それをやっていいと思えていない。約束なしの能動的な連絡ってほんとうに難しい。なぜ難しいのかはあんまりよく分からない。こんど考えてみよう。『〈友情〉の現在』も買ったほうがいいわね。
明日の新幹線を取り、すぐに眠った。