午前中はまったく仕事をする気にならず、というかなんならお昼を食べても仕事する気にならず、14時ぐらいまでうだうだしていた。そういえば朝も寝起きが悪く、なかなか起きる気にならなかったな。起きてからはシャワーも浴びてメイクもして、朝ごはんを食べてお弁当も用意、歯磨きしてしまってから、同居している友人が淹れていたおいしいコーヒーをあたたかいマグにちょびっともらって飲んで、「わー!おいしー!」と大声をあげてから出勤した。寝起きが悪くても、同じ空間にひとがいると元気が出るし、だんだんしゃきっとする。それが「ともにいる」ことの物理的かつ神秘的な効果だ。15分遅刻で済んだのもすごかった。引っ越してきてから、リズムをつかむためというのもあるが、たいていは早めの時間めがけて仕事場に行っている。といっても何をするわけでもないのだが……。
出勤の電車でホン・ソンス『ヘイトをとめるレッスン』を読み終わった。乗り換えなしで一本でがーっと行くので、どこかのタイミングで座って本が読めるようになるのがありがたい。原題は『ことばが刃になるとき』だそうで、日本語版のタイトルの印象よりしっくり。個々人がヘイトに対してできる具体的な対抗手段を教えてくれるレッスンというよりは、ヘイトスピーチとは何か、ヘイトと虐殺との段階的な関係、法整備や市民社会の仕組みによるヘイト規制、市民がとった抵抗やカウンタームーブメント、といった内容だった。ヘイトスピーチの問題を詳しく知るにはうってつけだし、個々人の抵抗とそれをサポートする法整備や各業界等の制度づくりが必要、という俯瞰的な目配り(できることはなんだってやるべき、とのこと)がなされていた。マイノリティに連帯し、差別とヘイトを孤立させることが肝要だ、という点に、うんうんと頷いた。自分がヴィーガンとして受けたりSNSで見かけたりした言動は思い切りヘイトと言っていいようなものだったんだなあ、と自分の被害を捉えなおしたという収穫もありつつ、何よりこの本で多く触れられていたのは「嫌韓」についてだ。在特会のひどいヘイト発言がおりにふれ書かれている。以前在特会のルポなど右翼(とくにネット右翼)について読み込んだ時期もあったが、それを読んだときよりもいっそう、日本社会にはびこるヘイトが非常に重く感じられた。一部の過激な人間だけがやっている理解不能な暴力、という感覚よりずっと、韓国社会は日本社会のヘイトを重く見ているのだ、と突き付けられた。照射される日本社会のひずみは、とても大きく見えた。それに対して何もせずにいることは、思っているよりも大きな意味を生んでしまう(差別への加担である)な、と感じた。カウンターデモに行くのはかなり勇気が要るけれど、ヘイトスピーチ・差別に反対するデモがあったら行ってみたい。そのほか、身近なところで中国・韓国・北朝鮮に対するヘイトや、外国人嫌悪(犯罪と結びつけるなど)に出くわしたときには、自分はその考えにはくみしないし、差別したくない、という姿勢を表明できればいいな、と思う(これまでも表明してきたので結構言い合いを経験しているが、そのやりかたももっと知りたい)。そしてやっぱり、この問題に関連して読みたい本に心当たりがあるので、それらを読んで、引き続き学ぼうと思う。
日記を書いて、仕事を明日に先延ばしにせずにやって、えらかった。今日はこれから中高時代の友人たちと職場近くのおいしいピザ屋さんに行く予定。わくわく!