さてさて、日記が書けない日々が続いておりますね。身体的な不調は服薬を続けられている抗不安薬のおかげかだいぶなくなってきたのだけど、いかんせん朝起きることができない。明確に起床に困難が生じているのを感じる。過眠だ。今週の目標は早く寝ることとしたので、一昨日は21時に自室へ(そこからヘッドフォンで音楽を聴いたりネット記事を読んだりしていたら23時半になっていたが)、昨日は22時半には寝ついていた。近頃は日中の眠気や気持ち悪さ、頭痛、動悸はほぼ出なくなった。代わりに過眠と気分の落ち込み、イライラが出ている。身体と精神、交互に調子が悪くなる。
先週は仕事でやることがあったのでまだ調子が良かったのだが、今週は週あたまからうっかりポカの対応をしており、めちゃくちゃストレスがかかっている。こういうミス、やらかしてから気づくのどうにかしたい。チェック嫌いなので、ヒューマンエラーが起こるのは必至なのだが、それを防止するためにできるだけ自動化させてくれの気持ち。
動悸の直前みたいな胸やけの感覚とともに出勤。今朝は同居している友人がリモートワークの日だったので、それを横目に身支度をすることができ、比較的早めに家を出発できてありがたかった。ここ数日は寒いし眠いしで二度寝三度寝しまくり、家を出るのが11時すぎだったのだが、今日はなんと10時前。すばらしすぎる(当社比)。はじめて買ってみたオーツミルクと、枕みたいな大きな袋で届いたラベンダーで作った、ヴィーガンのラベンダーミルクティーがおいしかった。
ノートを開いたのが1ヶ月ぶりだった。1ヶ月前には「編みものがしたい」「読書会やりたい」と書いており、いまのわたしはどちらもやっているのですごいなあと思う。過去のわたしからしたら、未来のわたしは想像以上なのかもしれない。
ラベンダー色のハリのあるコットンシャツワンピースの下にテーパードのデニム、上には濃いグレーのカシミアニットベスト。今日もまたあたたかい日らしい。夜の冷えが怖いので、グレーのカーディガンとマフラーはかばんに入れて持ってきた。ショートにしてから何を着ても可愛いのですごい。うれしすぎる。
日差しがまぶしい日に聴きたくなる、The Beach Boysの『Pet Sounds』。
ダイソーで毛糸を購入。バラクラバは編み途中なのに毛糸が入荷しなくなってしまい、続きが編めなくなってしまった。その毛糸を虎視眈々と待ちながら、あたらしい毛糸を買ってニットベストを編むことにします。楽しみだ。編みものをはじめてから思ったけれど、とにかく手を動かしていれば何かができている、というのが自分にとってかなり大きな助けになっている。読書するにも、読みはじめるためのエネルギーが必要だし、日記を書くのや絵を描くのにも同じようなエネルギーが必要で、ストレスコーピングっぽいものも実際にはそれをやるための「えいっ」という踏み出しが必要だったりする。それを思えば、すぐに、なんの苦もなく取り掛かれることが増えるのはありがたいことだなあ。いままでは、歌うことくらいしかなかった気がする。実際、一昨日はお風呂で大声で歌って、(スピーカーで流すのではなく)ヘッドフォンやイヤフォンなどで音楽を聴いて自分だけの世界に閉じこもった。これ、中学生くらいからずっと変わっていないストレス対処法だということに気づき、興味深かった。
ストレスコーピングに取り掛かれる難易度
↑易
SNSやYouTubeを観まくる(これはどちらかというと逃避行動)
声を出して歌う
お風呂に浸かる
あたたかい飲み物を作って飲む
甘いものを食べる、飲む
食べる(過食になりがち)
買い物
とにかく寝る
料理を作る
ヘッドフォンで音楽を聴く
編みもの
日記を書く
セルフマッサージ
絵を描く
↓難
こうやって並べてみると、わたしのコーピングの手段にはかなりの偏りがあるな。運動も入れたいところ。あと、わたしはストレス解消型コーピングのみをストレスコーピングだと思っていた。問題そのものにアプローチしたり、自分の受け止め方を観察したりするのも、ストレスコーピングであるらしい。ストレスがかかる現状を解決するのにそれらの手段を取ることが効果的なわけではなさそうなのでやらないけれど、なるほど、と思った。わたしの場合、もうこの状況にいる限りはストレスはどうやっても解決できないので、とにかく発散していくしかない。ぴえん。
出勤の電車で日記を書いて過ごせたからか、仕事場に到着してすぐ、ちょちょいと仕事ができた。筋トレダンス動画で20分運動して、お昼ごはんを食べ、タスクリストを印刷してタスクを書き出し、チェックをつける。リストにすると、やるべきことも、やったこともたくさんですごい。よし、またあらためてがんばるぞ。
年末調整の書類、訳わかんなくてウケる。ずっと睨めっこしてる。税理士いるのにこの経理作業をわたしがしなきゃいけないのか?謎すぎて税理士に連絡した。できればやりたくないという心持ちで。
君島大空のあたらしいシングル「Lover」、曲全体の構成が良い。しかしもうこの歌詞みたいなことは思わなくなったし言わなくなったな。昔のわたしはもっと痛々しくてロマンチックだったと思うけれど。
歯医者に虫歯治療に行ったら、30分の予定が1時間半弱かかった。途中から顎が疲れちゃってしょうがなかった。仮留めしてもらい、また二週間後に行くことに。もうそろそろ年末だなあ、と変なところで痛感する。
歯医者も長かったしもうこのまま帰ろう、と荷物を取りに仕事場に帰ったのだが、なんとなく気分が乗ってきてしまい、そこから1時間仕事をした。溜めていた雑事が片付いてきて気持ちいい。仕事が片付いていくときの爽快感、掃除したときの爽快感にそっくりな気がする。溜まってくると気持ち悪いところも似ている。ノリでしか仕事ができないのは困るけれども、それでも今日仕事ができたのはよかった。すばらしい。
いい気分で退勤し、SNSをスクロールしたら、友人がお気に入りの喫茶店にいるらしい。「30分で着けるんだけど、どう?」と連絡して会いに行った。以前飲んでおいしかったウバと、食事と迷ってバナナケーキを頼む。クリームの後に濃いめの紅茶を飲むとちょうどおいしく、がぶがぶ食べ飲み終えてしまう。さっそく「チョコレートケーキ半分こしたい」とお願いし、ヌワラエリアも追加で頼む。
急に会って、なんでもないような話をたくさんする、というのが結構好きだ。確信を突いた真剣な話とは違って、他愛のない話は心がほぐれる感じがする。なんとなく、「いい気持ちになる」ことの重要度が増してきた。わたしの親しさのかたちも少しずつ変わってきたのかも、と思う。以前はもっと「本気」の対話だけを求めていたので。いつからか、かの高名なマティスも「芸術はひとの気分をよくするためのもの」みたいなことを言っていた(いま調べても出てきませんが……)のをいいことに、「いい気分」でいることを大事にしたいと思っている節がある。「いい気分」は何でもなくてお気楽に思えるけれど、愛や平和を求めかつ体現するのと同じように、それこそがけわしい、平坦な道のりではない不断の営為である…… ような気がする。いい気分でいるには、大いなる決意が必要である(少なくともわたしにとっては)。「いい気分」は案外見過ごされていいようなものではないのだ。適応障害になってから、余計に「いい気分」でいることの難しさも感じている、かもしれないね。争うよりも平和のほうが難しいし、踏みつけるより愛するほうが難しいし、泣くより笑うほうが難しい。だからこそやる。ひとりでも、みんなとも。そう思っている。どんなかたちであれ、どんなときであれ、わたしの存在で、だれかが「なんだかいい気分になったな」と思ってくれたらいいな。
友人とは靴下がお揃いでした。クッキー柄の靴下。
帰り道の電車では、先週バーで勧めてもらったクンビアを聴いてみる。とりあえずSpotifyのプレイリストから。最初はポップすぎるかもと思っていたが、どんどんよくなってきた。色々聴いてみます。