わたしは、わたしが言ったことややったことにいろいろ言われるのもまあ好きではないが、それよりも、「そういうことは言わないほうがあなたのためだ」とか「じゃあこれのことは考えてないの(whataboutism)」とか「そういう言い方だとちょっと……(トーンポリシング)」とか、いろんな詭弁の手法を利用して「おまえは黙ってろ、おまえの話は聞かない」と表明されるときがいちばん嫌だし、傷つくかもしれない。表現することや語ること自体を抑えつけようとする態度や言動に出会うと、げんなりするし、はあ…… とため息が出る。言ったことに対して何か言ってくれるなら、わたしの話を聞いてくれているということだからまだよくて(それでも、口出しすること自体、信じられない!し、わたしが言ったことに対して言及しているようでいて、その実「黙ってろ」という意味でただいろいろ言い募っているという場合もある)、わたしが語るのをやめさせようとするちからを感じると、うわっとなるな。
表現したものにあれこれ言われるよりも、表現するなと言われるほうがきつい。
「黙れ」と言われるのがいちばん嫌いだし、怖い。「黙れ」と言ってくる人間を黙らせるための権力が欲しいと思ってしまう。ほんとうはその土俵に乗りたくないし、その土俵で権力とされるパワーを手に入れる以外のやり方で、語り続けるべきなんだろうけどね。周縁にいること、土俵に乗らないこと、オルタナティブをやること、とても難しいよ。権力とされる立場や資格を手に入れて力を行使した方が簡単そうに見えてしまう。でも、それってわたしみたいに周縁にいる人がやることじゃないね。すでに中央に近く特権を持っている人たちこそが、変革のために力を行使すべきなんだけどね……。やってくれないからね。なぜ変革の責務はつねに権力がない側にあるとされるのか(まさにそのような社会的責任の不公正な偏在の再分配・是正こそが、マジョリティがやっていくべきこと)。
ひさしぶりにカードリーディングを自分でやって、とちあいかを食べて(いちごは高いから買わなくなっていたけれど、やっぱりおいしいね!)、シャワーを浴びて、ベッドに潜り込んですぐマーキントンを抱いてふわふわした。おやすみ。