5時15分に目が覚めた。妹から「入籍したよ」と連絡が入っていた。666の日だ、と言っていた。早い時間だが、おめでとうと返信する。「入籍」はすでにある戸籍に入ること(=イエ制度の名残)なので、少なくともわたしが言うときには婚姻届を提出した、と言うほうがよいかもしれない。何かお祝いしたいな、とイイホシユミコのマグカップを調べてみたりする。わたしが欲しいばかりで、妹のイメージにはぴんと来ない。
本当は6時に起きたかったので、しばらくベッドでごろごろしていた。起床したら、ふらつくくらいのひどい立ちくらみがした。確かに6時間くらいしか眠れていない。
階下に降りてお粥を食べ、のんびり過ごしているうちにとてつもなく眠くなった。ソファで丸くなる。
なんとか身支度をしようと起き上がり、あまりの眠気に「これは運動をしなくては……」と太陽礼拝数セットとストレッチをする。全然眠気は消えないが、そのままシャワーへ。服を脱いでいるあいだに気持ち悪くなった。なんだか熱っぽい。シャワーを浴びても治らない。
夜に友人と地元で飲む約束をしているので、メイクをする。リネンのワンピースに着替える。今日は遅刻できない日。ふらふらしながら家を出た。
歩きながら聴くHermanos Gutiérrezの「Low Sun」がすばらしい。
時間通りに仕事場に到着し、午前はわーっと仕事をした。溜めていたことが1時間くらいで終わってしまう。集中して仕事ができると気分がいい。
水筒にハーブティーを入れてきた。カモミール、ペパーミント、エキナセア、グリーンマテ、ネトル、エルダーフラワー、ダンデライオンルート、パッションフラワー。自分がそのときに必要としている味がよく分かるので、いつもブレンドしていてとてもおもしろい。わたしは、だれかが知識を教えてくれるのではなく、もともとその人自身が答えを知っているんだ、という考え方が好きなので、それを実感できるハーブティーのブレンドという行為が好きなのだと思う。
仕事の合間に、非正規雇用の将来不安について、統計やインタビュー調査の結果などを調べて読む。今は労働者の37%が非正規らしい。わたしも待遇はよくなったが、雇用期間の定めがあるから非正規雇用の契約社員だもんなあ。そして、非正規雇用の7割が女性である。
自身の病気や体質に鑑みて、長時間・固定の労働はできないか、難しい
子育て・介護・家事など、身近なひとのためのケアワークがある
夫(妻の場合もあるが、統計的には割合は少ない。片方が正規雇用労働者である場合、そちら)都合の転勤に合わせて辞める、「夫を支える」ための家事負担
うーん。これで「男女関係ない」とはやっぱり思えないよね。女性は「家計補助」的に働く、という性別役割分業観が、やはり根深くシステムに食い込み、人々を動かしている、と言えると思う。
しかし、自分で自分の生活をやるためにはたらいている人だって多くいる。非正規雇用であっても、最低賃金の引き上げ、保障の充実などを通じて十分な収入を得て、不安なく暮らせるようになるべきだと思う。
非正規雇用の何が問題かというと、やっぱり雇用の不安定性と、低賃金だ。雇用の不安定性については、正社員と違って期間の定めがあるので、期間満了で次の仕事を探さないといけない、というのを繰り返すことになる。無期転換ルールも勤続5年でやっと、正社員登用制度があってもその枠に入れないこともある。そして賃金の低さについては、まず正規雇用と非正規雇用で年収平均が倍以上違う。正規雇用の平均年収は523万円、非正規雇用の平均年収は201万円だ(2022年)。「同一労働同一賃金」になっていなくて、正社員の仕事までアルバイトがやらされる職場だってよく聞く。最低賃金がとてつもなく低く(他国との比較の参照先がたいてい欧米なのも恣意的でどうなの、「先進国」とか「主要国」とか言っちゃってさあ…… と思うので書かないが、調べてみてね)、ほぼ最低賃金なら、フルタイムで働いても年収は200万円にも満たない。働いていても「最低限の生活」さえできない。ワーキングプアだ。そのうえキャリアアップなどもなく、ずっとずっとずっと給与が上がらない。ずっとだ。保障も充実していない。
こんな社会で、とりわけ非正規女性の被る不利益って、どれだけのものがあるだろうか。
M字カーブも問題だが、L字カーブというものもある。女性の就業率が、出産・育児を理由に30~40代の年齢でがくっと下がってその後上がるのが「M字カーブ」として有名だが、そのうちの正規雇用就業率は、出産する年齢で下がったまま、上がらない。つまり、復職時には正規でなく非正規で雇用されているということだ。やはり、女性(妊娠可能性のあるトランス男性やノンバイナリーの人も、このことを考えているかもしれない)のほうが、より自身のキャリアについて考えるのも無理はない。「自分のアイデンティティとしての仕事」「自分を自分が支える生活基盤としての仕事」を失う蓋然性は、データを見てもやっぱり高いのだ。
以前イ・ミンギョン『失われた賃金を求めて』を読んだが、分かりやすかったのでぜひ読んでほしい。賃金格差ってものすごいものがある。怖気をふるう。
自分自身も初職から非正規で(就活をしなかった)、今に至るまで非正規のままだけど、やっぱり怖いもん。満足な生活をするためにはこの年収では無理だということは分かっていて、収入を上げるには「何者か」になるしかない(という一発逆転志向が惹起される程度には、追い詰められている)。しかも、非正規雇用は臨時的・補助的な仕事が多いから、やりがいを感じにくい。この点も、わたしにとってはかなり大きいデメリットであり、一発逆転志向に拍車をかけている。
時間や身体的な拘束からの自由(フレキシブルに動けなければ、自身や周囲の生存のためのケアができない)/(収入が少ないから生計を立てるのが難しいという)不安に脅かされない生存、その「どちらか」しか選べないなんて、やっぱりおかしいと思う。どちらも、生存のために必要なことなのに。何らかの理由で「週5日8時間+残業や転勤」という条件と折り合いがつかなければ、保障もない状態で短時間・低賃金で働いた分しか収入が得られない。それで生計を立てろなんて無理な話だ。
ケアの側面を無視してこの社会が運営されてしまっているから、それによって押しつぶされるのは、やっぱりケア関係と、あらゆるケアを担うケアラーなのだ。一方、正規雇用の「夫」(話を単純化しますが……)に対して、家事・育児・介護を配偶者がより多く負担してくれたり(「より多く」どころか、家事時間のジェンダー格差は共働き世帯ですら恐ろしいほど差がある。ぜひ見てみてほしい)、転勤についてきてくれたりと、ケアが(過剰に)充当されているのだけど。この不均衡はそのままにせず、ケア責任の再配分を進めていくべきだと思うし、ケア関係を前提に社会の仕組みを組み替えないといけない、と思う。
統計を見ながら整理したら、すこし落ち着いた。生きていければいいだけなのに、なんでこんなに、狭い範囲の「仕事」のことに頭を悩ませなくちゃいけないんだろう。賃労働だけじゃない「しごと」のことをもっと考えたいし、大事にしたいよ。
お昼休みには、尹雄大『聞くこと、話すこと。』を半分くらい読んだ。濱口竜介や上間陽子のことが書いてある。尹の「音楽にからだを揺らすように、その人の話を、その人自身の声を聞きたい」という姿勢が好きだ。一方で、先日読んだ『句点。に気をつけろ』でもこの本でも、すこしうーんと思ってしまったのは、自身の身体感覚を大切にするあまり、「遠くで起こっている他人のこと」に対して声をあげることや連帯することの価値や効果を貶めているように感じられる記述がたびたびある点だ。はじめて読んだかれの著作である『さよなら、男社会』は、男性としての自身の経験に裏打ちされた、率直な憤りがあらわれるよい文章だったけれど、それは自分自身の声を大事にしたから、ということだったんだろうな。わたしは、共感ベースの他者理解はしたくないという考えを持っており、その点では尹に同意するし、他者の怒りや悲しみに自身を投影して乗っかってしまう心のはたらきを抑制することも倫理だと思っている。それでもやっぱり、「遠い他者」に対して連帯を示し、こんなことがあってはならないと言わなきゃいけない、とわたしは思っている。濱口の言うとおり、「聞かれているという感覚が、その人が自分自身を表現する基盤になる」のだとしたら。エムケが言うとおり、「あなたを知りたい」と聞き手が示すことによってしか、その人が話し出せないのだとしたら。あなたの声を聞きたいと願う人間がここにいる、と先に示したい。そして、遠くの声にこそ耳をすましたいとわたしは思う。
読み進めていると、はっとすることも多くある。
自分がただ「そうである」とき、相手に「私もそうしてもいいんだ」という信頼を与えるのではないか。
という一文に、ああそうだった、わたしのやることはこれだった、と引き戻される思いがした。
する仕事がなくなったほど、ちゃんと仕事ができた。えらかった。
退勤して、友達とおいしいビール飲みに行くぜ!