2024.10.2

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公開:2024/10/4

昨日突然妹から連絡があり、「明日羊文学のライブがあるんだけど、行けない?」と言ってきた。妹の夫さんが、チケットが当たっていたことをすっかり忘れていたらしい。夫さん(と呼ぶのは、義弟とか言いたくないし年上だから……)とチケット譲渡についてやりとりしつつ、直前だったが何とか同行者も見つかり、チケットを譲ってもらった。

おかげで今日は朝からるんるんしていた。出かける用事があると、生活に張り合いが出る。ばっちりメイクして、suzuki takayukiのイージーパンツにYLEVEの5分袖カットソー、qiriのレースベストで自分なりに「羊文学のライブに行ってそうな人」になりきった(実際は、みんなライブグッズを着ていました)。アクセサリーは真鍮と乳白色でまとめた。

仕事場に着いてから、友人と電話した。昨日のうちにちゃんと「電話したい」と連絡できてとてもえらかった。調子が悪いときは友人と電話するに限る。おかげで外回りもできたし、めちゃくちゃ仕事がはかどった。めずらしく、理由もなく「なんか仕事する気にならないよ……」みたいな瞬間がまったくありませんでした。あれやこれや話していたらあっという間に時間が経っていた。

長引いた会議を終え、急いで退勤し、走ってバス停に向かい、ライブ会場へ。はじめての東京ガーデンシアター。なんと5階のバルコニーまである広い会場。遅刻するかと思ったがぎりぎりそんなこともなく、しかし同行してくれるひとには先に入っていてもらうことにした。「タコスとビール買っておくね」と言われて「最高!」と小躍りしたが、残念なことにタコスは売り切れていたと追加で連絡が入った。きょろきょろ座席を探すと、ドリンクホルダーのない席で両手にビールのプラコップを持って待ってくれていた同行者を発見。すぐに片方のビールをもらって乾杯し、開演前にごくごく飲みながらおしゃべりした。昨日突然誘ったというのに来てくれたのは、わたしのパートナーの大親友にあたるひと(パートナーは、そのお友達のことが本当に大好き!)。間に一人挟むうえ、「マブのパートナー」というのはなんとも気を遣う、付き合いづらい関係ではないか、とびびりながらも誘ってみたのだが、すぐに「行きたい!」と反応してくれて嬉しかった。パートナーのまわりは本当にすてきでナイスなひとばかりで、ついつい「わたしも友達になりたーい!」と思ってしまうのだが、それってパートナーが構築してきた尊く重要な関係性の網目の中にずかずか遠慮もなく踏み込んでいくみたいで、非常に気が引ける。でも、おもしろそうで人間的魅力にあふれた人たちだし、たくさん話してみたいし仲良くなりたいよ…… などと、かなりうだうだする慎重なわたし。わたしは興味のあるひとには速攻で接触して「仲良くしたいです!話したいです!一対一で会っていっぱいしゃべりませんか!!」と伝えることを人生のモットーとしてやっているのだが、相手にとってのわたしは「マブのパートナー」であって、それ以上でも以下でもなく、場にいるくらいなら話すよ、くらいでしょ、という感覚だったので(仲良くなりたい人がいるとき、わたしはたいていこういう感じです)、「仲良くなりたい」と伝えるのがすごく難しいな、と感じていた。パートナーの友達と友達になることについては、パートナーは「好きな人と好きな人が仲良くなるって嬉しい」と喜んでくれるし、わたしもパートナーからいろいろ聞くから勝手に親近感を持っているけれど、たぶんお友達にとっては寝耳に水というか、「マブダチの彼女(あえてこう表現)から仲良くなりたいと言われたらキモい」んじゃなかろうか、みたいな……。考えすぎかもしれないけどそう思っちゃうんだよ!仲間内にいても許容できる人(=仲間)と、積極的に仲良くしたい人(=友達)って、違うからさ(自分がそういう距離のはかりかたで人間付き合いをしているので、余計にそう思う)。しかしながら、こんなにうだうだしているのは心のなか及び文章上だけで、実際に会ったらそんな葛藤や逡巡はあるのかと疑いたくなるレベルでわたしは開放的だと思う。話すなかで「たくさん話してみたかったから、機会を持てて嬉しい」とは伝えたけれど、「いやわたしなんてあなたにとっては友達のパートナーという立ち位置なのにさ……」みたいなことは一切言わないもん。言っても困らせるだけだし。会った瞬間からただただ会話を楽しみまくり、にこにこ元気に打ち解けているので、まさか立場や関係値を気にする人間だとは映らないだろう(自己認識と、パートナーからの評価)。「今あなたと一緒にいてうれしい!楽しい!!」しか放出されないので、良い体質ではある。

そんなこんなで話し込んでいたらあっという間に開演時間。5階の端っこのほうに座って羊文学のライブを楽しんだ。広いホールでのバンドサウンドというのは新鮮で、おもしろく聴いた。アンコールなし、座ってのMCというゆったりと無理をしないスタイルも、観客一人ひとりがくつろげるようにと示してくれているようでうれしかった。ここまで人気のバンドってすごいよなあ、と普段バンドを聴かない人間はそのことにおどろいたり、最前列でからだ全部を使って踊っているひとのラブリーさに目を細めたりしていた。終演後、同行者が「想像の10倍楽しかった!」と言っていてああそれはよかったよ、とにっこり。

上記に書いたような感じだったので、ご飯に誘うのすらそわそわしていたら「何か食べよう」と誘ってくれ、そりゃもうおなかがぺこぺこだったので大喜びで麻婆豆腐のお店に入った。青島ビールで乾杯して、とにかくたっぷりと話し、帰りの電車も方向が同じだったのでまだまだ話した。グルーヴで生きる話をして、「じゃあ、また飲んだりしようね」と言ってくれて手を振って解散したの、良かったな。そのあともLINEでやりとりして、次回はここに行こうと言ってくれ、なおさらのやさしさ。次があることのうれしさよ!にこにこでパートナーに「もう友達かも!!!!!!」と連絡した(たぶんまだ早いが)。こちらから「また飲もう」と言うには不安があったので別れ際に言ってもらえて助かったし、だからこそLINEでは「また飲もう」とわたしからも伝えることができて、ひと安心。歩幅が合っていると、ああよかった、とほっとする。

一緒に過ごして本当に楽しく、このひとはたぶん惜しみなくまわりのひとに分け与えるひとなのだろうなあ、と感じさせられる話しぶりだった。自分の引き出しにぱんぱんに詰め込まれたなかから、「それだったらあなたにはこれ」と渡すことができる(ってそれドラえもんやないかい!になってしまったが、本当にそうかも)。目の前のひとの話に耳を傾け、自分の話も存分にする、そういうひらかれたひとと話していると、「わたしはあなたに何か持ち帰れるものを渡せただろうか……」みたいな気持ちにもなってくる。が、「そういうバランスを気にしなくていいのもつるみ仲間というものよ」とパートナーが言ってくれたのでそういうものかね、と思うことにする。自分自身のこと、好きなもの、大事にしているものを見せることを臆さない人間にしかないのびやかさに、こちらまでほぐれるようだった。何にでもほほえんでいること、自己開示をしていること、自分のやりたいことをしっかりやって形になっていること、そういうよきところがふんわりとそのひとを明るくしているから、まわりに人々が集まるのだろうな、と思うような、やっぱりとってもよき人間だった。いつになるかは分からないけれど、次回が楽しみだなあ(うーん、わたしって控えめで慎み深い!)。

22時半解散なのに終電だった。怖。引っ越してからというもの、時間感覚を改めないとだめですね。

書いてみると改めて、わたしは「パートナーを中心としたコミュニティ」の「部外者」だ、という立ち位置で自分を理解しているんだな。だから向こうから次回を提示されると安心するんだ。ずかずか入っていくより、手を引いて入れてもらえたほうが円満な感じがするから。めちゃくちゃ「内輪」の範囲とそこへの入り方を気にする人間。思えば合唱団に入ったときもまったく同じようにうだうだしていた。そこで内輪ノリを隣で付きっきりで毎回説明してくれたのが現在のパートナーです。迎え入れる姿勢がある人間が誰か一人でもいないと、中に入っていけない。みんなそんなに内輪の境界線を気にしていないのかしら。わたしは自分が入っている内輪の境界線はうすーく、自分が入っていない境界線は濃く!捉えています。そういうもんかもね。みんなはどうですか?

とにかく、仲良くなりたいと思っていたひととたくさんおしゃべりできてとても嬉しい日だった。いつかガチのタイ料理屋さんでまたごはん食べるのも楽しみです。