一日ずっとやばかった。
もうほんとうにやばくて、仕事に行けなかった。
ベッドから起き上がれず、ずっと「やばい……… やばい…… やば……… あー……… あーーー…… やばい…… やばいよ………」と声を出していた。自分で自分が怖かった。
どうしても起き上がれなかったので、あきらめて家で仕事のメールを返し、あたかも仕事場に行ったかのような工作を行った。有給付与されてないので、ばれない限りはこれでいい。……ということにした。そうでもしないと限界だった。
ベッドから起き上がれたのは、17時だった。朝の9時半くらいからベッドにいたのに。
午後、友人とテキストメッセージのやりとりを1時間くらいしたことにより、だいぶ落ち着いた。話を聞いてもらい、言いたいことが一周して同じことを言うようになったのが自分で分かったので、お礼を言って切り上げた。
そのあともベッドにへた…… とうつぶせになって考えごとをして、今回友人だったひとからトーンポリシングを受けた件について、問題点の洗い出し、批判するための論点と援用する理論の整理、こちら側の改善点と具体策のまとめ、これからの行動の方向性と実際にやることを具体的にピックアップすることによって、自分の中で決着をつけた。二日でこの作業が終わって良かった。
しかしそれはそれとして悲しみはある。やり方は違っても同じ志を持ってそれぞれに生きている、と思っていたひとからあんなことをあんなふうに言われて、悲しくないわけがない。それを無理やり悲しくないことにしたり、その人を責めることによって認知的不協和を解消したりすることは望まないので、悲しいままにしておこうと思う。
見ないことを選べる特権性。それぞれにある被傷性。ひとはすべてに応答できない、ということ。見ないふりを、自分もしてきたし、今もしていること。でもそのなかで、やっぱりできることを見つけていきたいし、やっていきたい。
言葉がない。
もっと仔細に語りたかったのに。
何と言われ、何と思ったか。どう受け止め、どう考えたか。ここで書きたかった。でも書けない。
書けない。
ベッドから起き上がって、『関心領域』を観に行った。アウシュヴィッツの収容所の真隣の、大きくて素敵な庭付きの家に暮らす家族。音の映画だった。すべてがサインに満ちている。
帰りにパレスチナの旗が見えて、ほとんど駆け寄った。国会提出署名をした。涙が込み上げてきた。会ったばかりの人に、悲しかった話をし、あなたがここに立っていたことに勇気づけられた、と話した。反対側の出口でも大きなデモがあると教えてもらい、そちらに向かった。歩きながら大泣きした。しゃくりあげて泣いた。そのままデモをやっているところに到着し、プラカードを持った。隣の人がティッシュをくれた。すこし話を聞いてくれた。見ず知らずの人に、ケアしてもらった。
夜はパートナーと電話した。自分の中で論点整理ができたことはとても大きく、整理のつかない悲しみについても泣いたばかりだったので、頭も気持ちもある程度すっきりとした状態で話せた。考えたことを声に出す。それを聞いてくれるひとがいる。とても嬉しかった。過酷な仕事で疲れているのに、自分のほうが甘えているとまで言ってわたしが気を遣わなくていいようにしてくれる、そういうささやかなあたたかさが、わたしの背を支えてくれている。ふれているところから、体温が伝わってくるようなあたたかさ。支え合えているといい。わたしも力になりたい、といつも思う。
友人たち、パートナー、話を聞いてくれた見知らぬ人、そしてあたらしく「友だちになりませんか」と言ってくれた人に、とても助けられた。あらためて、ありがとう。
How do you use your voice?
考えるべきことはそれだけだ、と思う。