熊本でのパレスチナ連帯スタンディングでご一緒した方(同志なので、以下友人と呼びます!)が東京にいらしていて、時間を作って会ってもらった。昨日はもうやばくてぐったり、起き上がれないまま連絡できずにご一緒する予定だった学習会を欠席してしまったのが申し訳なく、昨日の今日でお会いするのも多少気まずいなと思いながらも、いやいやなかなか機会もないから…… としっかり行くことにする。ほんとに昨日はやばかったなあ。
仕事場の近くに来てもらい、二人ともヴィーガンなのでエリックサウスへ。ヴィーガン外食の選択肢ってほぼないため、友人には二日連続で南インドカレーを食べさせることになってしまいました。

ヴィーガンミールス、(高いな……)と思いながらも、ベジマークがついているだけではなく「確実にヴィーガン」の安心感をとって頼んだのですが、思ったよりもりもりでびっくり嬉しかった。メニューには「ヴィーガンミールス」としか書いておらず、中身が何か分からなかったため、ライスも(ランチセットだとプラス料金がかかる)バスマティだし、季節のカレー(茄子と筍のドライカレー。食べたかったけどランチセットのところにしか記載がなく、心の中では頼めないものと諦めていた)が入っていたし、サイドメニューのロティにワダまで…… と、他のランチセットよりももりもりで、予想外のことに胸がときめいた。食後にホットチャイも飲んじゃったよ。
エリックサウスの味付けって、食べにくさが一切ないからすごい。お味噌汁か?最近、舌への馴染みがよすぎるスパイス料理に嬉しさを覚えています。スパイスを中心に据えた料理って、アクセントがおもしろいことで「わあっ!」という新鮮なおどろきと印象をもたらしてくれることが多いし、もちろんそれを求めて食べている側面もあるんだけど、すごくあたりまえなものとして提示されるともうほんとうにしみじみ嬉しくなってしまう。驚きがないことが驚き、のようなところがある。ちょっと買い被りすぎか。もしくはわたしの舌が鈍感なだけ説もある。でもさ、何の変哲もないわけじゃなくて、スパイスがトーンになっているって、めっちゃ良くない?何の変哲もない料理の場合だと、もっと風味がぺらぺらで、味の空間的・時間的な幅がないからな……。ダイナミクスやフレーズや技巧ではなく、音色やトーンとしてスパイスを使っている料理にあたると、うふふとなります。安心する。
たくさん食べて、たくさん話した。おなかいっぱいになって、屋外のベンチに移動して、また話した。時折日差しが身体をあたためてくれた。曇っていたが、過ごしやすい気候で、よく風が吹いていた。
ヴィーガンのこと、生きること、働くこと、たくさんたくさん話したけれど、何よりもやはりパレスチナの話をした。パレスチナのことを身のまわりに発信すること、わたしにとっては「やりやすい」ことで、だからこそ「ああもうこっちは頭打ちでこれ以上は効果ないから、外務省とか政府とか、もっと権力を持っている別のところに声を向けて、自分のリソースを有効に使おう」と思ったところだったんだけど、友人はそれを「すごい、わたしにはできない」と言ってくれた。友人は、外務省とか政府とかの前で、デモを立ち上げたり参加したりして、自分の知らない人に直接呼びかけるほうがやりやすい、と言っていたのだ。わたし的にはそれがめっちゃびっくりなことで、「人によって、何がやりやすいかって、違う!」というあたりまえなことに気づいた。やりやすいことは違うのだから、結果として何をやっても、運動の中では役割分担になっているのかも…… と思ってみたりした(もちろん、負担が在日パレスチナ人をはじめとして、運動の中心で活動する人たちに一極集中している現実もある)。デモに行く人もいれば、SNSで呼びかける人もいる。人知れず寄付する人も、一人で勉強する人もいる。SNSで周りの人に呼びかけることも、別にわたしが感じているほど「誰にも届いていない、効果がない」わけではなく、そのひとつだと捉えられるようになった。
帰りに改札で写真を撮って、熊本のスタンディングで声をかけなければ、今こうして一緒にしゃべっていないんだね、と言いながら、偶然と、そこにいたるまでの互いの意思と行動力を、改めてよろこんだ。こういう出会いって、本当に不思議ねと思うくらいの素敵なことだけれど、互いの意思が、歴史がなければ交差していなかったよなあ、と思う。人と出会えて良かったと思うとき、あなたがいてくれて、一緒に過ごせてうれしいと思うとき、かならず、かならず今ここにいるあなたが歩いてきた道を思う。あなたに流れ込む川の流れを聞く。あなたのすべてがなければ、あなたはここにいなかった。あなたが、あなたをここまでやっと連れてきた。そのことがすごく誇らしい(I'm proud of you!)し、胸打たれる。あなたの話を聞かせてほしいと思う。
ゆっくり過ごして仕事場に戻り、1時間半くらい仕事をした。なんならちょっと定時を超えてしまい、いそいそと帰った。
夜は、地元の区議会議員のサポーターチーム会議。夏の平和企画の企画会議になる予定。えー、平和企画なら、パレスチナのことと、ここにいるわたしたちの「平和」について話させてくれないかな。提案してみよう。
そういえば、朝起きたらテーブルの上の芍薬が花びらをいっせいに落としており、おおっと思った。こんなに潔いとは知らなかった。
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机の位置も花瓶の位置も、「なぜそこに置いたんですか?」な微妙な位置ですね。これ突っ込まなければばれなかったかな。どうでしょ。