2024.10.1

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公開:2024/10/4

美味しいパンを買い、市役所でやっと転居届を出し、市役所あるある:窓口に粘る失礼マンスプ権威主義おじいさんの鼻っ柱を折る、をやりました。疲れた。最悪だよ。

友人に連絡したらその日のうちに通話することに。早めに帰ってきてシャワーを浴びさせてもらい、ごはんを適当に食べて、部屋でさっそく電話をした。近況報告や、環境の変化でどんなふうに自身が変わったか、という話などをして、最終的には話の流れでめちゃくちゃ性交渉について話した。どちらもシスなのでお互いが異性にあたるのだが、そこで気軽に(もちろん迂遠な表現を使うが)性交渉について話せるのはおもしろかったし、興味深かった。前提として、PVセックスをプロトタイプ・モデルとして採用することによって、挿入至上主義が神話として瀰漫しており、挿入によってオーガズムを得なければいけないと思い込まされたりだとか、それ以外の身体的コミュニケーションは「本番」のための「前戯」として下位に序列化されたりだとか、多様な性交渉のあり方とそれによって得られる快楽や満足を不可視化してしまう、という問題点を共有できたことが大きかったと思う。シス男性と性交渉の話をすることはあまりない(パートナーくらいか)が、なかなか最初の時点ですっと挿入至上主義を喝破するのは難しい気がする。わたしですら、月経や不正出血、その日の体調などの関係で挿入ができないと、なぜか必要もないのに「申し訳ない」と思ってしまったりするくらいだ。「セックス」は、挿入に伴う射精をワンセットとするのではなく、互恵的な身体的コミュニケーションとしてもっと広く捉えたほうがいいだろう。と、ここまで書いて調べたら、Aセクシュアルのための情報を書いている文章を見つけた。コートの「膣オーガズム神話」という論考を解説しているもの。そう、そうなんだよ!PVセックスのみを性交渉の頂点としてしまえば、そこからあぶれ、はみ出す非規範的な性は価値のないものとされるか、あるいは過剰に貶められ、禁止される。異性愛のみが想定されている点と、男性にとって都合がよいものであって女性の主体的な快楽を無視し、女性への抑圧を再生産しているんじゃないか、という点から、いやなんだよなあ、PVセックス至上主義ってさ。PVセックスを性交渉の「最終段階」とすることや、それによってオーガズムを得なければいけない、という規範には抵抗していきたい。

ということで、トランス差別に明確に反対するメッセージを最初にしっかりと書いている、夜のそらさんの「Aセク情報室」の該当ページリンクを貼っておきます。(わたしはnoteというプラットフォームは様々な経緯からよくないと思っているので使わない人間ですが。)

おもにずっとPVセックスを規範とすることの弊害について話していた。もっと人体について勉強し、パートナーとも議論していきたいな。

そのあとパートナーとも少し電話した。性交渉の話をしておもしろかったんだよ、と話したら、「自分には言えない相談?」と少し不安がっていたため、「あなたに相談できないことは何一つないよ!」と言った上で、きちんとパートナー個人の事情には触れずに話したよ、と改めて伝えた。勝手に他人の性的な事情について第三者に話すのは、きめ細やかな合意がなくてはやってはいけないと考えているので、いかにパートナーの個別具体的な事情にふれずに自分の範囲だけで話すか、気をつけて話したよと報告。なんだかんだいろいろ話し、眠たいのに大笑いしたりして、とってもいい気分で眠りについた。