今日から大阪京都旅行。
母に電話で起こしてもらい、湯船にゆっくり浸かってから、身支度や旅行の準備をした。
なぜかILLITの「Magnetic」が聴きたくなって、リピートして歌いながらかばんにいろいろ詰めていた。柴田聡子の追加公演の開演前に流れていたおぼろげな記憶。
新幹線の切符をPASMOに移して、そのまま乗れるようにして準備万端。
わたしは旅行が好きではない、というか、観光に興味がない。どこかの街へ遊びに行く感覚の延長で、どこかへ旅行に行きたいのだ。これは過去にデートDVを受けていたとき、行きたくもない旅行(もともと旅行が泣くほど嫌いで、家が大好きだった)の計画の一切を立てさせられたからかもしれない。希望を聞いて宿を選定し予約、観光スポットをピックアップして決め、ルートと見学時間も分刻みで設定、使う公共交通機関の時刻表とにらめっこ、レンタカーの予約と所要時間の計算、食事するお店の候補選びまで、旅行の「全て」を調べて決める作業を一人でやらされた。マジで最悪だったな。……それが原因かどうかはわからないが、旅行であっても遊びに行くときのように柔軟に動けないと、息が詰まってしまう。今回はパートナーとの共通の友人のところに遊びに行くという名目なのだが、その友人がわりあい決めたいタイプのようで、旅行に行く実感すらないわたしはひええ…… となっています。
新幹線に乗車しても、ぜんぜんこれから旅行という気がしない。パートナーとは、実感がわかないからホテルを取るのも適当にやろう…… と話している。
パートナーが作った7月のプレイリストを聴いて、あとはSpotifyのおすすめ機能で流れてくる曲を聴き、良い曲を探した。フライング・ロータスやYussef Dayesがかなり良い。
先日熱のある日にふわふわと読んでいた宮地尚子『傷を愛せるか』を読み終えようと、新幹線でひらく。なんだか今日はちょうどトーンが合ったのか、最後まで読んで、ぽろぽろと泣いてしまった。ことばが沁みてくるようだった。
くりかえそう。
傷がそこにあることを認め、受け入れ、傷のまわりをそっとなぞること。身体全体をいたわること。ひきつれや瘢痕を抱え、包むこと。さらなる傷を負わないよう、手当てをし、好奇の目からは隠し、それでも恥じないこと。傷とともにその後を生きつづけること。
くりかえして言われるこのことばに、涙があふれてしばらく止まらなかった。
傷を手当てされたという風景が、何かを変えるかもしれないし、何も変わらないかもしれない。しかし、何かにはなる。そう信じる人の営みが、誠実に記されていた。このエッセイを読んでいて、手当てされた風景がわたしにもある、と思えた。その風景に今、生かされている。
ずっとこういうことを言い続けて生きてきたのに、最近は忘れかけていた気がする。読めてよかった。
文庫本から顔を上げると、そのたび窓の外の景色が変わっている。遠く青い山並み。灰色に波立つ海。広い川。家々。新幹線に乗ると、大人になったなあ、と思う。遠くまで行けるようになった。
続けて、昨日買った宮崎智之『平熱のまま、この世界に熱狂したい』を読む。くすくす笑いながら読みすすめた。
大阪に着いて、迎えにきてくれた友人とわーっと近況を話し、熊本から来る恋人を待った。三人無事合流して、友人の家に荷物を置かせてもらい、それから大阪の有名なところを観光した。グリコのポーズもやったし、商店街の立体的なたこ焼きや蟹やそのほかいろいろに歓声をあげた。
夜はお好み焼きを食べに行った。おいしかった。
そのあとはSTARLESSというプログレッシブ・ロックのバーへ。しかし今日は持ち寄り企画の日で、店内はおじさまおばさまが「ムード」というテーマで持ってきたCDを順繰りにかけて、いいねえと楽しんでおられた。歳を重ねても、「ここに来れば仲間がいる」と思える場所があるのは素敵なことだなあ、と胸がほかほかした。(めちゃくちゃ音楽に詳しそうな方々だった。)わたしもこういう企画して集まりたい、いつまでも……。