2024.5.22

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公開:2024/5/22

あー!あー……。

という感じの日がはじまりました。

朝起きてからベッドからなかなか出られず、YouTubeを観ていた。出てからはコーヒーを飲んでチョコレートをかじりながら、またYouTubeを観ていた。YouTubeって本当に別に観る意味なくて、さわがしく落ち着かない気分を別のやかましさでねじ伏せているに過ぎない。毎朝の朝食がチョコレートってどうなんだ、こりゃ肌荒れも治りませんわ、と思いながら食べている。野菜食べたい……。毎朝もりもり食べられるように、今日帰ったら何か作っておこうかなあ。

今週は、体調が悪いわけではないのだがなんだか身体がだるくて、ふわふわして、力が入らずうまく動かない。ずっと変な感じだ。土日にまったく安静にしなかったからかしら。早めに寝ても、このだるさは治らない。一度がっつり運動をしたり、銭湯に行ったりする必要がある気がする。ちゃんとごはんを食べていないのもあるのかも。

仕事に行きたくない感じがちょっとひさびさで戸惑いつつ、部屋にいるエバーフレッシュの枝葉が混み合っているところを少し剪定した。わたしの寝室にいるエバーフレッシュは冬からずっと調子が悪く、ぱらぱら葉を落としまくっていたのだが、それらの枝を思い切ってえいっと剪定した途端、ぐんぐん新しい葉が出てきた。それ以来、枯れてきた葉のつく枝をを少しずつ切ってきた。切ったところからもれなくあたらしく葉が出てくるので、植物ってすごいなあ、と思いながら日々接していたら、いつのまにかほぼすべての枝葉があたらしいものになって、すっかりみずみずしく元気になっていた。以前は掃除が大変なほど葉を落としていて、もう枯れちゃったのかな、どうしよう…… と悩んでいたので、古くなった枝を切っただけでこんなに元気になるなんて、と驚きつつ、毎日すくすく枝をのばすようすを眺めている。

植物はよく知っているのだなあ、と思うことがある。生きることについて。みずからをまっとうすることについて。ずっと前はよく「来世は木になりたい」と言っていたけれど、ヘッセが「木になりたいと願うな、木のように自身を生きろ」と書いていたのを読んだことをきっかけに、ああそうだなあ、と思い、そう願うのも言うのも、ぴたっとやめた。

木に傾聴することを学んだ者は、もう木になりたいとは思わない。あるがままの自分自身以外のものになろうとは望まない。あるがままの自分自身、それが故郷だ。そこに幸福がある。

ヘッセの「木」を、ぜひ読んでみてください。

仕事場に行っても本を読めばいい……… と自分に言い聞かせ、家を出た。ヘッドフォンをして、中村佳穂『AINOU』をかける。脚がふわふわするので、わざと大股でずんずん歩く。信号待ちで音楽に合わせて踊る。人目は気にしない。

電車の中で目を瞑りながら聴いていたら、「SHE'S GONE」のドラムに感嘆した。

音楽聴いていていちばんおおっとなるの、ドラムかも。

あまりにも脚がふわふわするので、今日は午前中お散歩してたくさん歩こうと決めた。水曜日はMY PICNICのドーナツの入荷日だと思い出し、仕事場に行く前にカフェに寄ってばっちり買った。一緒にロングブラックを頼み、酸味の効いた(そしてちょっとぬるい)エスプレッソの味に、「やっぱり夏のコーヒーは酸味よねえ」となった。

仕事場に荷物を置いて、ドーナツとコーヒー、スマホ、ヘッドフォン、鍵だけ持って散歩に行く。皇居のきれいな芝生を見ようかと思っていたのだが、5月ならあそこかな、と思い直して方向をくるっと変えた。鼻歌を歌いながらどんどん歩いて、見知った景色が見えてくる。

紫やピンク、赤い薔薇が花壇に植えられている。

学生時代、歩いてよく来ていた公園だ。5月は薔薇がたくさん咲いているので、ひさしぶりに見たいなあと思ったのだった。もうすでにいちばんきれいな時期は過ぎていたが、それでもまだいくらかは咲いていて、薔薇の香りがあたりに満ちていた。

小さめで濃いピンク色の薔薇。
淡いピンク色のカップ咲きの薔薇。

公園をひと回りして、にこにこお花たちを見たり、写真を撮ったり、顔を寄せて香りを確かめたりした。

実は、わたしの目当ては薔薇ではなく、レースフラワーだったりする。色のある花々のあいだを埋めるように植えられている白いレースフラワーは、ここでわあっといっせいに咲くのを見てからというもの、ずっとお気に入りのお花。5月といえばレースフラワー、と勝手に思っている。

白いセリ科のレースフラワー。

芝生の小さな桜の木のふもとに座って、買ってきたドーナツを食べる。ずっと前から食べてみたかったので、仕事場の近くのカフェに入荷していたと知ったときから、「絶対食べる!」と虎視眈々と機会を狙っていた。MY PICNICのドーナツは、穴の部分も一緒に付いてくるのがアイコニック。ちいちゃなおまけがあると、ちょっとうきうきする。

丸くふくらんだぽてっとしたフォルム。ひと口かじって、びっくり!思ったよりもがりっとしている。なのに中は密度が低く、ほろりと溶けていく。なにこれ!表面のシュガーの粒がきらきらと大きく、シナモンの甘い香りが次のひと口を誘う。ドーナツってもっとみちみち、ぼそぼそ(それもそれで美味しい)しているイメージがあったので、生まれてはじめての食感だった。こんなドーナツがあるんだ……!ただ、600円ってちょっと高いなと感じた(メニューには値段書いてなかった)。とても美味しかったので満足!あっという間に食べ終えてしまった。

ピンク色の薔薇の茂みの前で、ドーナツの入った白い紙袋をかかげている。
芝生を背景に、ドーナツを左手で持っている。

思ったよりは歩かなかったけれど、1時間くらいのお散歩を終えたら、少し汗をかいていた。何も見ずにただ音楽を聴きながら歩くだけ。気分が晴れる。

仕事場に戻ってきてから、資料を作ってなんだかんだ3時間半くらい作業した。やりきった。一日にこれくらいしか働けないかも。

職場の収支がやばいから解雇される可能性が浮上してきた。有期雇用契約……。もうとことん仕事に関しては「こんなんばっかり!」かも。不安定すぎる。さっさと自分で本屋さんをやったほうがいい気がする。もう少し貯金してからにするつもりだったのだけど、いよいよかもしれない。みんなから口々に応援してもらえる「こんなことやりたいな」があって、それをはやいところやったほうがいいんじゃないか、とどこかで(わりと心のまんなかのほうで)思っています。

最近、ビジネス街を歩いていて、「ああ、わたしはこれと遠いんだな」という思いが、ひとりでに胸にこんこんと湧き出てくる。良い悪いじゃなく、やりたいやりたくないでもなく、ただ、「遠い」のだ。わたしにとって、いわゆる「会社員」のような要素は、近しくて・当然で・すんなりと馴染める、というようなものではない。今の仕事ではスーツを着ないですんでいるので、大丈夫度は高いのだが、ほんっとうにただ、会社員という肩書きや働き方が自分にしっくりこないだけなのだ。大学を出ると、スーツを着てどこかの会社で働くしか選択肢がないような気がしてしまうけれど、それがいちばん「現実味がない」ように感じられる。「普通は嫌だ」「何者かになりたい」とかでもなく、ただただ自分には似合わないことだなあと思うし、へんてこな気分になる。遠いなあ、と心のなかでつぶやいている。すっとその世界に入っていける気が、まったくしない。周りのひとは会社員として働いていて、その姿も尊敬するしものすごいことだなあ、と思うんだけれど、自分がそれをやっている姿がまったく想像できない。会社の人たちと名札をぶら下げてお財布を片手にランチに出かけるとか、スーツを着て鞄を肩に掛けて朝早くから職場に通うとか、そういう人生が自分にありえたとも思わないし、これからもありうるなんて想像すらできない。ここを歩いている人たち、その人生が、遠い、遠いなあ…… と思いながら、道ゆく人々を見るともなしに見て、ふらふら歩いている。

仕事を終えて退勤し、遅刻して都知事選に向けた会議に向かった。