2024.7.31

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なんか今日めっちゃ元気かも!朝はあんまり元気がなく無口だったのに。

昨晩はめずらしく0時前まで起きていて、なのに朝5時過ぎに目が覚める。二度寝してやっと7時半。冷房の温度を低めにして毛布をかぶって寝てみた(SNSで見かけただけ)が、すっかり喉をやられてしまい、痛くてがらがらする。冷房苦手で喉が弱いこと、すっかり忘れていた。大事な予定の前に体調を崩す、なぜわたしはいつもこうなんだ。喉も痛いし肌も荒れてきた。ああ……。

起きてきて、朝ごはんは茹でたとうもろこしと枝豆。食後はハイビスカスとエキナセア、ラズベリーリーフのハーブティーに、はちみつをとかして飲んだ。ちょうどいい酸っぱさでおいしく、妹にも好評だった。シャワーを浴びている間に母が牛乳(普段は家にないが、無料塾で使ったのが余っていた)でチャイを作ってくれた。インド式で沸騰させるのだが、クリーミーでやさしい甘さ、とてもおいしかった。朝から甘いものを飲みまくる。家族三人で「糖尿病が怖い」という話をした(妹は検査したところ、糖尿病ではなく、睡魔に弱いだけだったらしい)。

絶対に中村佳穂がぴったりの日!と、『NIA』を歌いながらぴっかりと晴れた道を歩いた。

今日も今日とておにぎりを買ってから仕事場へ。十穀米の梅と、奮発して鮭といくら。490円也。お昼に食べたらやっぱりおいしかった。いくらがいちばん好きなんだ、わたしって……。

レターパックを買おうと郵便局に寄ったら、窓口の方が「暑いですね」と話しかけてくれた。あ、郵便局の窓口のひとって、世間話もしてくれるんだ。照り返しもきついですよね、サングラス買いました、なんて話をして、「熱中症お気をつけて」と言い合って去った。一言二言交わすだけで、人というものは元気が出るものらしい。めずらしく仕事場に着いてからもやる気に満ちており、書類を作成して提出、書類請求手続きもして、発送書類の封筒、レターヘッドを印刷した。ついでに仕事場近くの図書館と地元の図書館の予約人数を見比べ、はやく届くほうで本を予約する、なんて一年に一度しかできないようなこともやった。友人に「元気なので電話したい!」と連絡したら応じてくれたので、遅めのお昼を食べてから、封入作業をしながらいろいろと話した。

過去を振り返って、5年前の自分って別人みたい、と思う。昔のわたしはもっと、悲しげなものが好きだったのだ。なぜそんなものが好きだったのか、と言われても、そのときのわたしはそうだったのだ、としか言いようがない。今は、「悲しくないほうがいいだろ」の一言でわははと笑えてしまうのだけど。悲しげなものに漂う色気のような何か(ような何か、でしかないのだと思う)がしっくりくる頃が、わたしにはありました。そんな過去に対して大きな嫌悪感があるわけでもなく、あのときはそうだったねえ、と微笑ましくもある。もうそういうものが必要なくなったなあ、としみじみした。その友人と出会ってからのわたしはそういうものがどんどん抜けてきて、軽くなってきた気がする。悲しみは確かにあるけれど、それを抱えながらも、今を生きることを懸命にやってきた。悲しみを信念にするようにみがいてきたな、と思う。もっと早くに、健全な他者とのコミュニケーションの取り方をよく知っていたらよかったな、と思ったりするけれど、取り方が重要というよりは、取る相手の見極め方の修練をしてきた、ということでしかないのかも。

この身に降りかかる大きなこと、ドラマティックなことから遠ざかって半年経つ。みずみずしく外界や内界を経験できていない、と思いかけて立ち止まる。今のわたしを、不感だということにはしたくないな、と思う。たしかに、適応障害のせいか気分が浮かばず、自分がちゃんと「生きる」をできているのか、ちょっと不安になる。ちゃんと感じられてるのかな。ちゃんと考えられてるのかな。ちゃんと味わえてるのかな。でもなんだかんだ生き延びているし、うれしいこともあるし、楽しいこともあるし、そういえば泣くほど悲しいことだって半年の間に意外とあった(すっかり忘れてたけど)。悲しいことは頼まなくても向こうからやってくる。それまではめいっぱい楽しくやっていたい、と思う。さりげないことごとのなかに、ちょっとしたきらめきを見つける技術を身につけたい。劇的な痛みを生存の実感として感じたがるのはもうやらなくていいなあ、と噛み締めるように頷く。

この話をしながら、最近読んだkai、服部みれい『自分を愛する本』のことを思い出したのだった。

帰りはちょうど大雨に降られた。今朝がんばって丁寧に干した洗濯物は、母が取り込んでくれていたらしく、ありがたかった(旅行用に丁寧に干していたので、無駄にしたくなかった)。

きくちゆみこ『だめをだいじょぶにしていく日々だよ』を読み終えた。

きくちゆみこ『だめをだいじょぶにする日々だよ』のクリーム色の表紙。

最初のページをひらいた瞬間から、最後まで、ああすごい本だ、と感じさせられ続けた。きくちゆみこさんが感じとっているものを、手のひらをひらいて見せてもらっているような。まぎれもなく、書くことで生きてきたひとの言葉だった。人生そのものに深く染み透っているひかりのてざわり。手元に置いておいて、ことあるごとに読み返したい本に出会うことは稀だ。うれしい、うれしい出会いだった。

そういえば、最近読み終えた本のことをなぜか日記に書いていなかった。くどうれいん『コーヒーにミルクを入れるような愛』も読み終えています。

くどうれいん『コーヒーにミルクを入れるような愛』の表紙。

買った本のこともその日に書いていないし……。読み終えたときに日記に登場するのだろうけど、積んであるので遠い先かも。