10時からパートナーと電話する約束をしていたが、わくわくすぎて9時半に早めてもらった。電話を繋ぎ、パートナーは仕事の資料作りを、わたしは市民運動の名簿管理やメールのやりとりをした。だるいねとこぼしつつ作業したおかげで、お昼にはさっぱり、のびのびとのんびりすることができた。朝からちゃんと動くと、気分がいい。わたしはやることを終え、シーツを替えたり、部屋を片付けたりもした。そして好きな洋菓子屋さんにパンを買いに行く。こちらは香ばしい胡桃とレーズン、歯切れの良いずっしりしたパン。でっかい王蟲…… と思わず呟く。

パートナーは昼食を作って食べ、そのままお昼寝すると言い、わたしはそのあいだ本を読んだ。ぽつぽつしゃべりながらそれぞれの生活をすると、ああ休日だなあ、と思う。
午後は昨日に引き続き、都知事選に向けた街頭アピールへ。定期的に、何をやっているのかをアナウンスするようにした。司会もやったが、やはり2回目にもなれば手慣れたもの、という感じだった。まわりのおばあさまたちにも褒められて、嬉しかった。日差しが強く、結構体力を消耗した。
帰りがけ、駅前でビッグイシューを買った。
そのまま、半年ぶりに辞めた合唱団の練習へ向かった。その前に時間があったので、パートナーとよく行っていたカフェでヌテラのアイスラテを飲みながら、本を読む。

今日は、『水俣病を知っていますか』『活動家、一丁上がり!』『BIG ISSUE Vol.481 まちに座る』をすべて読み終えた。ビッグイシューには、販売員さんが手書きのメッセージ付きのポストカードを挟んでくれているのを発見。はじめてのことで、とても嬉しかった。
そして合唱団へ行ってみたら、打ちのめされた。半年連絡を絶っていたひとに勇気を出して挨拶したら、ガン無視だった。まあそうだよな、とも思う。やっぱり歌うことが好きだから、今日、吐きそうになりながらも頑張って来てみたけれど、もう戻れないことを確信した。無視されることは、恥ずかしかったし、悲しかった。でも仕方ない、もうおしまいなんだな、と分かった。
これまで半年かけて、大きなショックに直面し、自分の行いや信念についてあらためて考え、省察した。また実践の範囲も拡大したし、どうアプローチするか、発信するかも、さまざま工夫した。受け入れ難い自身の一面をつくづく味わい、嫌な感情に支配されたり、そこを何とかしようとしたりもした。そうして日々泣きながらも自分なりに整理をつけて、またどうにかできないか、と一歩を踏み出してみたのだ。そのことだけでも、よくがんばったと思う。しかし、自分にとっての居場所、コミュニティから去らなければならないこと、そこがもはやわたしにとっては安全ではないこと、そしてもう二度と戻ることができないことは、身をもがれるような痛みが伴う。
すごく悲しくなって、帰りの電車を待ちながら、ホームでパートナーに電話をかけた。それから何とか帰宅し、また電話をつないでもらって、話を聞いてもらった。こうしてケアさせてごめんと謝りつつ、聞いてもらえることがありがたかった。ただ、話していて不安になるので、どうか相槌だけはしてください…… とお願いした。パートナーはいつも、わたしがこういう重たい話をするとき、自分自身の立場にある種の後ろめたさを感じ、言葉少なになってしまうらしい。わたしの話が、個人的な怒りに端を発しながらも、それが構造的な問題であり、そこでの自身の立場や言動を内省するからだという。矮小化せず、きちんと受け止めようとして、CPUの割付を間違えた、と言っていた。結局、そんなふうに「なぜあなたは/わたしは、こういう言動をするのか」という話をしたことによって、対話をかなり楽しんで電話を終えた。
パートナーとの会話で、わたしはいろんなことをいろんな調子で言った。沈んだ調子で、あるいはすべて諦めたと言わんばかりに、またあるいは悟ったように。言っていることも、その様子も、次々に変わっていった。蛇行し、右往左往しながら、何とか激しい感情の着地点を探していた。それをすべて聞いてくれたパートナーの存在が、本当にありがたい。日曜日なのに、ものすごく時間を割いてもらった。ありがとう。