出勤してすぐにお昼ごはんを食べたから、午後にまたおなかがすいた。無性にコーヒーが飲みたくなって、近くのミニストップに買いに行った。おなかすいたなあ、甘いものって身体によくないなあ、と思いつつ、一緒に甘いものも食べたくてチョコクロワッサンを買った。わたしが菓子パンを買うって、とてもめずらしい。カフェオレをセルフレジで注文し、カップがどれかよく分からないなと思っていたら、近くに立っていた店員さんが「ミルク温めてお渡ししますね」とにっこりしてくれた。その声色になんだかこころがふわっとやわらぐ。ミルクを裏で温めて渡してくれ、そのカップにマシンでコーヒーを注ぐ、というかたちで、へえ、と思った。帰り道、小雨が降ってすこし寒いくらいのなかをカフェオレをすすりながら歩いた。帰ってレンジで10秒だけチョコクロワッサンを温め、チョコをとろとろにして、カフェオレに合わせて食べた。
それからすこし本を読んだところぴんときて、やりたい本屋さんの名前が決まりました(お楽しみに)!さっそくECサイトを作成した。ほそぼそとやっていけばいっかあ、となったので、これから準備します。ぴんとくる名前が決まったとたん、かなりわくわくしてきた。あとは2万かけてスマホのカメラを修理したほうがいいね……。
てんやわんやで1時間くらい仕事をやり、1時間くらい会議をやった。よくがんばったほうだ。金曜日に発送作業もあるので明日また確認しなきゃいけないことがたくさんある。がんばる。全部がギリギリである。
やっぱり尹雄大って良い。『句点に気をつけろ。』を読みはじめたけれど、昨日ちょうど友人と話していた、ある一時期テーマとしてかなりこだわって中心に据えていたrawnessの話に通ずるものがある。言い淀むこと、なめらかな発語=自身のテキスト化をしないこと、きっぱり区切らず、言い切らず、その先へと続けていくこと。そしてそれは、濱口竜介の作品を観ていて感じる、自身から出てくる言葉で対話しようとするあの姿勢を想起させるし、平田オリザの『わかりあえないことから』で読んだ「対話:ダイアローグ」は会話と違って言い淀む、という話も思い出す。自身がやっているpodcastも、かなりその側面が強く出ている。編纂・編集を経てすっきり整理されたものよりも、淀んだり戻ったり迂回したり寄り道したりするもののほうが、わたしは好ましいと感じる。それはわたしのフェティシズムだと思われるかもしれないが、実際には倫理観だと言っていい。
濱口竜介の『悪は存在しない』をパートナーと観た翌日、その予告として流れていた佐藤真『暮らしの思想 佐藤真 RETOSPECTIVE』というドキュメンタリー作品に濱口竜介が寄せたコメントについて、バスの中で話した。(ちなみに佐藤真の作品たちは非常に良さそうで、パレスチナのエドワード・サイードを撮っている。)
濱口竜介が寄せたコメントは以下(予告編の動画より)。
佐藤真の映画ではカメラが人物の前に回ることが多い。
対立でもなく、対時でもなく、被写体の前で立ちすくむカメラ。
そんな印象を受ける。
答えのない過酷な生を、人々の声が和らげる。
佐藤真はインタビューすることを恐れない。
インタビューの一つ一つが説明に堕することがないのは、人の声自体を「できごと」として捉える感性ゆえだろう。
一度お会いしたかった。
濱口竜介の手法も、カメラが人物の前に回るカットがとても印象的だ。ごくりと唾を飲み込んでしまうほど、まっすぐに目が合うことが多い。
そんな濱口竜介が、佐藤真の「カメラが人物の前に回る」ことに言及し、それを「立ちすくむ」と表現するところに、深く首肯した(まだ観てないけど、わたしの倫理と響きあうところがあったので)。
わたしは「立ちすくむ」という表現が好きだと思った。ただoverwhelmedで、そのできごと、現象に自身が坐しているそのさま。おそらく、何かを目の当たりにしたとき、それに対する反応はいろいろある。その物事に直面することから逃げたり、一歩引いて「冷静に」まなざして考えたり…… 一時期はわたしもためらうこと、決めつけないこと、留保することを倫理だと考えたこともあったが、今となってはそのような姿勢は腰が引けていると感じる。「立ちすくむ」にはそれらの卑怯さ、ずるさはない。そこから動かない/動けない。そこには、「そこでそれが起こっている」という現象以外、何も挟み込まれない。
立ちすくむ。なんにせよそこにいて、向き合う(そこに立ってカメラを向け、フィルムを回す)。みみをすます。ざわめき、うめきを聞く、おさめる。
そこにいる、に留まろうとすることは、切迫した現象の要請である。それを引き受け、ある種の応答として、踏みとどまることが必要な瞬間がある。それをわたしは倫理だと考えている(肌で知っている、と言い換えてもいい)。
立ちすくむだけではだめで、そこで「それでも」と続くかどうか、なのだと思う。
「できごと」そのものを捉えようとする、佐藤真の作品をぜひ観てみたいと思う。
すっごくちなみにの話ですが、もちろん、「それでも」という言葉や気概を、自分や誰かが踏み躙られたり毀損されたりひどく扱われたりするときに使っちゃだめですよ!!権力に加担しない!暴力を許容しない!抵抗!!