晴れていたからか、朝からとっても気分がよく、るんるんだった。仕事場についても鼻歌なんか歌っちゃって、「とっても気分がいいなあ!」と独り言を言っていたくらい。一人職場って気楽です。
よく晴れたので、リネンのトップスをおろし、ごきげんに写真を撮った。

1時間くらい遅刻したが、来客が予定されていたので、少し仕事をして、休憩して、また仕事をした。来た方のやさしさのおかげで、残業は回避して帰ることができた。
帰り道、最寄りから家までのあいだに、ばったり整骨院に行く途中の母に会った。すこし立ち話をして、夕飯があるか確認して帰宅。
昨日銭湯に行ったのがとってもよかったので、今日も行くことにした。家を出たところで、またしてもばったり母に会った。コンビニに行くところだったらしく、同じ方向だったので自転車を押して歩いた。いろいろ話しているうち、話が止まらなくなって、銭湯の真ん前で蚊に刺されながらも話し込んだ。「許せないこと」に話が及び、「もう一度同じことが起こっても大丈夫」なのが許せたということ、というのを聞いて、「許せないことばっかりだわ!!」と言っちゃった。人生難しい。
明後日は、半年ぶりに合唱団に行く。仲の良かったひとの言動にすごくショックを受けて、「ここはわたしにとって安全な場所ではない」と感じ、連絡先を全部切って合唱団も辞めたという経緯がある。わたしにとっては、いまだ折り合いがついていない大きな悲しい衝撃だったし、ひさしぶりに行くにあたって、不安もたくさんある。わたしが辞めているので、きっと一方的な話が回っているのだろうなあ…… とか、ひさしぶりに戻っても誰とも仲良く話せないかもしれない…… とか、どんな顔して行けばいいんだろう…… とか。それでもやっぱりわたしの生活には歌うことがどうしても必要なのだ、とこの半年で思い知らされた。歌わないと調子がみるみる悪くなる。ひさしぶりに楽譜をもらい、音を取っていたら(※仕事中)、もう本当に楽しくて楽しくて仕方ない。ああ、合唱するの好きだなあ、と思ったのだった。森田花央里の「三味線草・壱」をはじめて聴いて、自分でもびっくりするくらいに大興奮。一人だったので思う存分「うわー!最高!!好きすぎる……」と独り言を言い、曲のすばらしさに胸震わせながら音を取った。絶対にソロ歌いたい。絶対です。ということで、不安よりも、この曲でソロを歌いたいので合唱団に戻りたい、という気持ちのほうが大きくなった。もっとうつくしい声でうつくしく歌えるようになりたいし、ブランクがある分、しっかり練習したい。もちろん合唱団のみんなのことが好きだというのもあるんだけど(辞めるとき本当に寂しかったし、不本意だった)、好きな曲が歌えるって最高だなあ。歌うことのよろこびを久方ぶりに味わって、胸がはちきれんばかりに嬉しかった。こうして思い返しているだけでも、身体の内側がうずうずするくらい、わくわくする。わたしってこんなに歌うのが好きなんだなあ。
やっと母に手を振って、銭湯に入る。熱いお風呂ってやっぱり最高だ。1時間くらいかけてのんびりとあたたまった。しばらくは通ってみようかな。これで肌の調子もよくなるかしら、という期待がある。
お風呂に入りながら、「許せなかったこと」について、うんうん考えた。まずは、心のなかで「そうか、悲しかったんだね」と声をかけてみた。しばらくすると、すこしだけ波立っていた心が凪いでくる。そして、怒りがあったのは、「わたしにはどうしようもない、何も届かないし聞いてもらえない、無力だ」と感じたからなのだ、というところに立ち戻る。そこに至ると、わたしはどうしても、無力感を克服するために、「相手を黙らせる社会的地位・信用という名の権力」が欲しいと思ったり、「すべてを説明できるようにし、自分に理があることを証明する」ために勉強しようとしたりしてしまう。power=権力を手に入れないといけない、そうでないとなんやかんや言われてしまうし、傷ついてしまうのだ、と追い詰められてしまう。強くならないといけない、と駆り立てられる。それまで違うやり方をさんざん試して穏便に試みていたとしても、たった一度怒りを表明してしまえば、わたしの発言や信念の正当性は割り引かれてしまう。「過激で行きすぎた○○はちょっと……」「正直怖いから、発言に正当性があるか検討する気にならない」「そんなんだから誰も話を聞いてくれないんだよ」「そのやり方じゃ仲間なんてできない、人が離れていくだけ」というふうに。怒りは隙を与えてしまうのだ。「その話は聞かなくていい、耳を塞いでもいい。だってうるさいんだもん」と言わせる隙を与えてしまう。それが悔しい。怒ったのはたしかに無力感を感じたからであって、それは弱さと重なるものだ。しかし、弱いままいることが、取り乱すことが、怒ることが、そんなにおかしいことだろうか。いきとしいけるもの(人間も、動物も、植物も)がこんなに酷いやり方で虐殺されているこの世界に、怒らないでいられるだろうか。怒りを感じないことや表明しないことは、自分の真正さ、まっとうさを担保してくれるだろうか。自分が持ちつづけたいと思うまっとうさの感覚が、この世界の虐殺を容認することによって、「こういうものだ」とすることによって、目を逸らしてしまうことによって、どんどん削られていく。そんなのはわたしはとてもじゃないけど耐えられないよ。
そうやって考えていくと、怒りを表明してパートナーに拒絶されたこと、怖いと言われたことを思い出す。わたしにはそれが何よりのしこりなのだ。弱い自分を受け入れてもらえない、さらけ出せないことが、とても怖い。(もちろん、あんなに穏やかにわたしの話を聞いてくれたり、ひとまず受け止めてくれるひとはいないし、そこは本当にありがたいことだ。共感しなくていいから、せめてわたしの主張を聞き、論点については理解したことを示してほしい、というのも求めすぎなのだろう。)そこでさらに考えを進めてみる。あのとき、わたしが怒っていたあのときに、パートナーはなんと言ったか?「自分にもそういう部分があるから」と言ったのだ。そういう、というのは、わたしが怒っていた対象である、「素朴な疑問」の体をなしながらも、この社会に瀰漫する偏見と差別をめいっぱいに吸収した言動のことだ。そのときのパートナーの声色を思い出して、はっとした。わたしが怒っていたのは、「そのとき、その人に対して、自身にすべがなく、無力であったこと」だけが理由ではない。「わたし自身が、怒りを向けたまさにその人のような言動をしてきたし、今もそうであること」だ。とっくにいなくなったと思っていたわたしが、目の前にいたからだ。今はこんな感じでアクティビストになったが、3年前のわたしはどうだったのか?よく知らないわたし、行動しないわたし、知らなくても行動しなくてもいいと思っているわたしがいた。確かにいたのだ。わたしがトランス差別をしなかったか?いや、した。わたしが種差別をしなかったか?いや、した。わたしが他のどんな差別をもしなかったか?いや、した。したのだ。わたしだって、その人のように、数年前は「素朴な疑問」のかたちでとんでもないことを言ったのだ。学ぶことで、話すことで、それをすこしずつすこしずつ、学び落としてきたに過ぎない。そして今も、その途上である(きっと、終わることもない)。怖かったのだ。無力だった、以前のわたしを見ているようで、投影してしまった(モラハラを受けているところも含めて)。忘れたいわたしが、友人の顔をして現れたのだった。
そう思い至ったとき、わたしがたいせつにしたかったことを置いてきたことに気づいた。わたしは、その人の言動を、「わたしを尊重してくれない」「わたしの話を聞いてくれない」と捉えた。しかし、その人もわたしに対して、そう思っていたのではないか。できなさ、やらない理由、戸惑い、忌避感、疑問…… そういうものを、受け入れてもらえなかった、と。弱さも、できなさも、ぜんぶ含めたいのだった。そうだった。同じ方向を向いている仲間のvulnerabilityは受け入れるが、仲間じゃないひとのそれは受け入れない、なんて姿勢は、まったくインクルーシブではないよね。その人の言動は、その人のせいではない。社会のシステムの影響や雰囲気を、それはもう驚くほど正確に反映しているだけだ。それなのに、その言動の「原因」を個人に帰するべきではない。そうだった、そうだった…… と唱えるように、噛みしめるように、思い直した。個人には、社会を変えるパワーがあるし、責任もある。それだけだ。その人のせいなんてこと、あるわけなかった。
もちろん、友人だと思っていたひとにヴィーガニズムについてあれこれ言われたことは、すごく怖かった(ヴィーガニズムは衣食住の生活すべてにかかわることなので、理解のない好き勝手な言動を受けると、いのちが危うくなる)し、大きなショックで、来る日も来る日も、ほんとうに悲しかった。今でもカットインするように思い出され、胸のあたりにぐるぐると靄がかかる。それでも、それでもその人は「悪くない」のだ。わたしだって同じ過ちを犯してきたし、今この瞬間にもきっと踏んでいるものがあるし、これからも差別と偏見に塗れたとんでもないことを言ってしまうかもしれない。それはとびきり怖いことだ。間違えて、誰かを踏んでしまうかもしれない。踏みつけにしたまま、ぼーっと気づかないかもしれない。その足をどけろと言われても、聞こえないふりをしたり、気のせいだと取り合わないかもしれない。どんなに気をつけても、学んでも、実践しても、社会を構成し運用する差別というシステムから逃れて「まったく差別しない人間」でいることはできないのだ。それは、誰しもが逃れることができない網目であり、基盤である。わたしも、その人も、そのことを共有しているのだ。
自分が立っている足場について考えることはとても怖いことだ。しかしだからこそ、そこからはじめていることを忘れずに(あるいは、何度でも思い出して)、「それでも」と言い続ける人間でいたい。
ここまで考えればさすがに落ち着いてくるもので、日曜日の合唱団の練習に行けそうだと思った。
銭湯から帰ってきて、夜ごはんを食べて、寝た。