最近は夢の気配のなかで目が覚める。
ソイミルクティーを淹れて飲み、昨日もらってきた楽譜を見ながら歌の練習をした。やっぱり歌うのは楽しいし、わたしは歌が上手い。シャワーを浴びながらまた歌った。
身支度して、一度着た服にぴんとこず、着替え直した。SUSURIの小花柄のレヴーズドレスで出て、夜は冷えるらしいのでANTIPASTのカシミヤニットベスト、さらにYOKO SAKAMOTOのカーディガンをかばんに入れる。ANTIPASTのタイツもおろしたのだが、柄が可愛くて嬉しい。かばんはグレーにして、ドレス以外のものをグレーでまとめることに成功。kamiori kaoriのビーズの指輪と、金木犀の指輪をつけ、ヘッドフォンをかけて家を出た。
夜のライブに向けてハイエイタス・カイヨーテを聴く。『Love Heart Cheat Code』、いいアルバム!
まだまだ編み物がしたいので、ダイソーに寄って毛糸を購入してから出勤。仕事場に着いたはいいものの、何もしたくなかったので、ごはんを食べてアールグレイを飲み、あとはずっと買った毛糸で編み物をしていた。黒いふりふりのつけ襟を編むんだ。2つめ、そんなに上達しない。こんなものかしら。どうにかして上手くなりたいが、上手くなるには編み目の仕組みを分かることが必要な気がします。
5段編み終わったところで時間になったので退勤し、ライブ会場に向かった。向かいつつ『Mood Valiant』も聴いておく。そういえばちゃんと聴いたことがなかった。
かっこよすぎる。最高。ライブが楽しみになってきた!
重いからと本を仕事場に置いてきてしまったので、ライブ会場前で日記を書きつつパートナーを待つ。コインロッカーの小銭を探しているところに後ろから肩を叩かれ、無事合流。記念日ぶり、しかも平日の合間にライブのためだけに会えたというのに、なんだか思ったより調子が上がらず、パートナーにも「体調どう?」と訊かれてしまった。「心の体調がよくない……」と答えたら、「やっぱり、そんな感じがした」とのこと。そりゃあばれるよね、という態度だったと思う。なんだか話が嚙み合わなかったり、言い方がいつもと違ったりが、自分でもわかった。いつもだったら、会った瞬間に満面の笑みになるのに。えーんと思いつつも、会場のまんなかくらいに場所を取り、開演前のDJを楽しみつつおしゃべりした。
ハイエイタス・カイヨーテのライブ、とにかく最高だった!みんなノリノリで叫びまくっていた。もちろんわたしも。しっちゃかめっちゃかに踊らせてくれる音楽が大好き。ドラムが上手すぎて最高だし、ベースの音色すごいし、ボーカルの歌はユニークで、うれしい。とっても楽しかった!かっこよかった!踊りまくってにこにこに。終演後、パートナーと顔を見合わせて、大興奮で「最高だったね!」と言い合った。
さっとJRの駅に移動して、たこ焼きを食べた。たこ焼きっていつでも食べたいんだよな。いつもは「1個100円か……」と尻込みしてしまいなかなか買わないたこ焼きだが、居酒屋のメニューとしてならちょうどいい値段。スタンダードなものと、ねぎの乗ったつゆで食べるものを頼んで、一人10個でちょうどおなかいっぱいになった。もうたこ焼きを渇望していたため、あつあつとろとろのたこ焼きを1個食べるたび、「おいし~~~~い!!!」と唸っていた。そのときいちばん食べたいものをきちんと食べたときのぴたっとはまるような満足感、すごいものがある。
ぱっと食べて飲んで、まだちょっとしゃべりたいよね、と駅前の座りにくいオブジェ前に座った。最近仕事がつらくてしかたない話を聞いてくれ、パートナーの解釈を伝えてくれ、状況を整理してくれた。こんなに楽な仕事(とにかくやることがなく、時間がありすぎる)でも適応障害になってしまう自分がはずかしくてみじめで、この先転職したとしてもまた同じようになってしまって働けないんじゃないかという不安もあって、だけど楽でおいしい仕事だからこのつらさは分かってもらえないんじゃないかとなかなか打ち明けられない……。「こんなに楽で、自由な、おいしい仕事なのに」というところが大きなポイントで、自分のみじめさと不安を増大させる原因になっているのだということが、話しているうちにやっと分かった。やるべき業務量が少なく、暇な時間がありすぎるせいで、業務時間中に仕事がない時間は「後ろめたさとたたかう時間」になってしまっているのだ。ニートをするにも才能が必要だとはよく言うし、わたしはどちらかというと「才能がある側」だと思っていたため、最初は「自由時間でなんでもしていいなんて最高!」とほくほくしていたのだ。しかし仕事もなく、人もおらず、引継ぎなし、孤立無援でサポート皆無の環境は、わたしにはまったく向いておらず、たった3か月で適応障害を発症。最初は「新しい環境はもともと苦手な人間だから」と自分の性質だということにして高をくくっていたのだが、しかし環境調整もしてもらえず、「慣れるしかない」で騙しだましそこから半年、症状に波はあるが、ずっと「適応」できないままでいる。基本的に仕事場にいる間は何もできないのだ。何だってできる時間はたっぷりと(ほんとうにたっぷりと!)あるのに、ひたすらに耐え難く、身動きが取れなくなる。「こんなに時間はあるのに」「なんでもやりたいことをやっていいのに」やる気力が湧かない。「ああ、病気だあ……」と思う。だというのに、退勤してビルを出て歩き出した途端にヘッドフォンから流れる音楽があざやかに聞こえてきて、愕然としたあの瞬間のことを、わたしはまざまざと思い出せる。業務時間の後ろめたさから解放された瞬間に、急に好きなことができるようになるのだから。もし休職や退職をして時間ができたとしても、「休んでいるのに」「時間はあるのに」好きなことが何もできなければ、さらに焦るのだろうな、なんて思う。孤独死のニュースも遠いことではない、本当に人は、誰とも話さなければどんどん病んでしまうのだ(そう考えると15年も独居の祖父はすごいなあ)。人と毎日話せる職場だったら解決するのか?暇な仕事しかしたことがないのに、みっちり業務をこなす体力はあるのか?そもそも通勤に時間がかかり可処分時間が少なくなることもストレスではないか?と、自分にとって何がストレスで、何がそうではないのかを腑分けするのも難しくなる。すべてがストレスの原因に見えてしまうのだ。とにかく「楽なのにつらい」のが今後のことを考えても不安で、恥ずかしいことだと感じているとパートナーに話せてよかった。ままならないねえ、と言ってくれた。ままならないね。すでに転職先の目途を立てつつ、せめて職歴的にも1年は継続したいと話すと、自分にできることがなさそうとすこししょんぼりしてくれたが、しょんぼりしてもらえるだけでも慰められる。まるく円を描くように背中を撫でていてくれて、いままで余計に入っていた力が抜けるようだった。「引っ越したばかりでなければ、熊本で同居して仕事探せばと言うのに」と言ってくれ、照れ隠しで「言ってないでしょー!」などと言ってしまったが、気持ちはありがたい。「自立しないと」という焦りがあるため熊本での同居は考えておらず、それはわたしにとっては「逃げ道」として残してある最終手段なのだ。しんどいんだからそんなプライドなんてかなぐり捨てて逃げればいいじゃん、と思う自分もいるにはいるのだが、パートナーに寄りかかると対等ではなくなってしまうという気持ちがやっぱり強い。できることなら転職したくないおいしい仕事だが、この病状が続く限りは転職した方がいいな、という判断はかろうじてできるので、もう少し症状が落ち着いて動けるようになったら何とかしようと思う。
しばらく話して、いい時間になってきたので立ち上がる。「仕事がしんどい」の感情のまま別れることになってしまうことを詫びると「想定済み」とのことでした。疲れているときや眠いときにではなく、直接会って話せるタイミングでこの話をしようと思っていてくれたんだな、と分かってありがたかった。ホームまで送ってくれたので、ハグして手を振って別れた。